ノスタルジア

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おはようございます。

鳥取県大山町と琴浦町で
整体をしています、
愛光流からだと心整体の隅田真人です。

 

お盆休みは皆さまは
どのようにお過ごしでしょうか?

 

愛光流からだと心整体は
カレンダー通りで
営業致しておりますので、
お近くにお越しの際は
ご一報ください。

 

本日もお読みいただき、
ありがとうございます。


お盆休みは
どのように過ごされていますか?

 

僕は例年は実家のある大阪へ
帰省しているのですが、
いろいろありまして、
しばらく大阪に滞在していましたので、
さすがにいいかな、と思い、
今年は鳥取の方で過ごしています。

故郷へ帰省されている人も
多いのではないでしょうか?

 

お盆とお正月くらいしか、
故郷に戻ることもないですね。


管 啓次郎さんの著書の一節から

家郷の病から病みあがるために。

十八世紀。
山國スイスの男たちは傭兵として
ヨーロッパ各地を転戦していた。

ところが、この戦士たち
かなりの者が心に不調をきたす。

ひどく憂鬱になる。

医師たちはその原因を、
山が見えないフランスやフランドルの
平原風景に帰した。

山が見えないせいで不安になり、
精神の均衡を崩すのだ。

こうして名づけられたのは
「土地の病い」とも「故郷の病い」
とも訳せるマル・デュ・ペイで
それが逆行的にギリシア語になったのが
「ノスタルジア」である。

 

それなら
抑うつ状態に陥った無骨なスイス人を
山の風景に戻せば、
ただちに溌溂とした心を取り戻すだろうが、
それはわからない。

 

しかし、スイス傭兵に限らず、
ふるさとを遠く離れ、
知らない気候と言葉の中で暮らした人は、
歴史上、つねにいただろう。

 

かれらが抱く郷愁は、少しは想像がつく。

 

慣れ親しんだ土地や人々から
少しでも身を引き離し、
それゆえの郷愁を覚えたことのある
「われわれ」なら。

われわれもまた、何らかの程度において
見えない「山」を求めてきた。

 

もちろん問題なのは
山をはじめとする風土風景だけではなく、
言語だったり食物だったり祭りだったり、
それらを混然と支える情緒だったりする。

 

「山」という結晶化の手がかりを
仮に求めるのは不安の特性であり、
郷愁は遠くにあることで強さを増し、
同時に
そこにない「山」の姿を
たぶん現実以上に美しくし、輝かせる。


「だから旅とは一種、病みあがりの状態を
持続することではないだろうか」

病みあがりの
「すっきりした感じ、軽くなった感じ、
それはまさに病いが可能にした溌溂さだ。
いいかえると、弱さを弱さとして
受け入れたからこそ
もたらされた軽さなのだ」と。

それに並行するかたちでいうなら、
ノスタルジア、郷愁とは、
寄る辺なき心の弱さだ。

 

だがその弱さを弱さとして受け入れ、
しかるべき表現を与えるとき、
軽みと明るみが生まれ、
つかのまの解放が果たされる。


整体操法をお受けになられて、
「懐かしさを感じる」と
表現された会員さまがおられました。

弱さと強さ
不安と解放

誰もが持っているものなのですが、
ふるさとから「外」に出る、
ことによって「内」を知る。

弱さを知ることで強さがわかる。

 

病いを経験することと、
旅に出ること。

 

全く違うと思っていたものが、
実は同じものなのかもしれません。

より一層、
自分の「内」を知るための術。


<おまけ>

 

お墓参りに行きました。

 

いろいろなご家庭の人が来られていて
プチ同窓会のような雰囲気でした。

 


 

本日もお読みいただき、
ありがとうございます。

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