子育て回帰録 整体的観点と四柱推命から親子について

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はじめに

こんにちは。

 

鳥取県大山町と琴浦町で
整体をしています、
愛光流からだと心整体、隅田真人です。

 

本日もお読みいただき、
ありがとうございます。

 


子育てを振り返る

子育てについて振り返ります。

 

3月も深まってきました。
3月はお別れの季節でもあり、
始まりの季節でもあります。

 

皆さんはどのようにお過ごしですか?

 

僕は6年生の息子がいますので、
お別れの3月を満喫している状態です。

子供の成長を振り返る機会が多く、
感傷に浸っています。

 

大きくなったなぁ、とか
あんなことがあったなぁ、とか。

 

今思い出しても、
失敗したことや、悔しかったこと、
そのことに付随する成功体験や感動、
そのようなことが、
思い出として強く残っています。

例えば、こんなことがありました。

 

僕は息子に対して、
健康で溌溂と生きてほしい、
と思ってはいたのですが、
お恥ずかしいことに、
待ち切れず、
介入してしまったり、
注視したまま(観られているという気配を残したまま)
見守っていたり、
ということを繰り返していました。

 

結果として
過剰な期待をかけていた、
というか、
息子にしては
そう感じていたのかもしれません。

 

そのような僕の振る舞いが
息子を委縮させ、
失敗が怖い、
というような人間にさせたのかもしれません。

 

息子はあるときを境に
いろいろなことに挑戦することを
拒んでいました。

溌溂、という部分には
全く当てはまらない状態だったと思います。

 

とりあえず無難にその場を終わらせる、
というか
無事に乗り越える、
というか
そういったことに対してばかり
気を配るようになりました。

 

 

息子は他の子供さんに比べて
特別に運動が得意、
という方ではなかったです。

 

そんなにたくさん
遊んであげれた訳でもなかったですし、
かけっこでもそこそこ、
マラソン大会でもそこそこ。

 

順位は中位くらいで、
選手になることもない。

 

学習発表会でもそこそこ、
木琴や鉄琴などの
特別な楽器を使わせてもらうメンバーになることもなく、
黙々とリコーダーを練習している。

 

そこそこであることがいい、とか
悪い、とかではなく、
息子自身が自ら選んだとはいえ、
背景に僕が植え付けた感情があることに
僕は気づいていましたので、
大変心を痛めていました。

 

この子はもっとできるのになぁ、
結果なんかじゃなく、
振る舞いや佇まい、行動の起源。

 

もっと違う自分が
この子には隠されているのになぁ、
どうしたらいいんだろうか?

 

妻と意見が合わないこともありました。
どうしたらいいのか?
話し合いました。
そりゃ、お互いに息子のことを案じているのですから
意見が合わないことも当然です。

妻も息子に健康で溌溂と生きてほしい、
というのは、(多少表現に違いはありますが)
同意見でした。

 

いくつかの転機があったと思います。

 

僕と妻(親)が知っている部分、
学校の先生方が知っている部分、
スポ少の関係者の方々が知っている部分、
友達が知っている部分、
息子しか知らない部分。

 

息子は今、
無難にこなすことに一生懸命になっている、
という状態ではなく、
自分なりに溌溂と生きていると思います。

 

いろいろな役割を与えられ、得て、
立派に務めていると思います。

 

下級生からの息子に対する言葉も
上級生に対する憧れに近いものが多く、
本当にありがたく思います。


息子との会話

 

僕は息子に対していろいろなことを
話しました。

学校生活や学校での人間関係、
スポ少でのこと、などに対する整体的発想や考え。
体癖観察に基づく分析。

 

例えば、
○○くんは前後型6種だから、
美しいとかはかないという感受性があり、
とても優しい部分もあるけど、
特有の蔑みもあるから、○○くんは悪気はないけど
そういった人なんだよ。

○○くんは捻れ型だから
とてもハートウォームで温かいけど、
強引で粘っこい部分もあるけど、
そういった人なんだよ。

 

とか、

 

息子の生年月日や生まれた時間から
四柱推命を使って、
息子に向いているであろう
職業を提示してみたり、
四柱推命から読み取れる
息子の性質などを提示してみたりしました。

 

息子は比肩星を多く持っていて、
桃花星、駅馬星も持っています。

ですから、その結果を踏まえて
息子に、
「将来は友人をたくさん作って、
友人を中心に友人たちと一緒に
日本各地、世界各国を飛び回る、
のかな?」

と、言ってあげたら、
表情が輝いたことを覚えています。

 


整体的発想で打開する

整体が人の苦しみを救うのは
痛みから解放する、
というだけには収まりません。

 

普段の発想だけでは
どうしようもない、八方ふさがりの状態から
光明を見出すことができるのも
整体的発想なのかもしれません。

 

キラキラ輝く姿を見て、
その力が伝播していくように思えます。

息子の姿を見て元氣になります。
元氣を受け取っているような感じです。

 


親子という単位の可能性

僕は僕自身の経験を通して
親子、という単位で整体を考えていくことは
ものすごい可能性がある、と考えています。

親子がもっと輝くことができれば、
日本の停滞を解消できるのではないか、
と思います。

子供さんがおられる方は、
子供が健康で溌溂と自分の可能性を
最大限に発揮し、
伸び伸びと生きて行ってくれたら
素晴らしいと思いませんか。

 

子供としての立場から考えたら、
親から大切なことを教わり、
そのことを活かして、親とともに
発展していきたいと思いませんか。

 

いま日本に蔓延しています、
子育ての問題や
親に対する介護問題、
年老いた親の終活問題などを
解消するのは親子という単位を
考えていく必要があると思っています。

 

今まで、
親は子供のために
ある意味、犠牲になってきました。

 

もう一つの側面では、
子供はある意味、親の犠牲に
なってきました。

 

親子という単位はある種切り離され、
別々の単位で生きているようです。

 

これは悲しい話だな、と思います。

 

僕は親がまだ生きています。
子供もいます。

親と繋がり、
子供と繋がることで
関係性は強固になり、単位は大きくなります。

僕は親の幸せを願っています。
子供の幸せも願っています。

 

親子という単位の可能性について
深く深く掘り下げていくことで
幸せが近づいてくるのではないでしょうか。

 

整体的な発想が
幸せを構築していくために
必要であると思います。

整体操法を受けて
変わっていく子供さんの姿を
見るだけでも、とてもいいものです。


お問い合わせ

 

 


謝辞

 

本日もお読みいただき、
ありがとうございます。

 

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