心理的な問題と整体

心理

心理的な問題と整体

 

人間の感情や心理というものはなかなか表に現れてきません。

パッと見て、あっ!この人怒っているなとか、泣いているから悲しいんだろうな、ってわかるといいのですが。

 

とはいっても泣いているからと言って悲しいわけじゃない、くやしい場合もあればつらい場合もあるわけです。

表に現れていてもよくわからないのに、表に現れないように押し殺してる感情や心理があればどうでしょうか?

というお話です。

 

 

つい先日の話なのですが、娘の小学校に生活発表会に行ってきました。

生活発表会というのは中学や高校で言う文化祭や音楽祭のようなものです。

各学年の児童が舞台の上で合唱、合奏をします。劇のようなものをする学年もありました。

 

せりふ回しや演奏、歌も一生懸命練習したんだろうな、って思います。

娘は比較的大きな学年ですので、準備係として木琴や鉄琴、大太鼓などを合間合間に設置したり、撤収したりしていました。

 

何人かの児童の姿を観ていますともぞもぞしている児童、ポリポリと側頭部やおなかの辺りを掻いている児童が見受けられます。

 

さぞかし緊張しているのでしょうね。微笑ましい光景です。

ぼくにもああいったときはあったのでしょうけど、知らないうちに過ぎ去ってずいぶんと時間が経ったようです。

 

あのポリポリ行為はストレスがかかっている証拠です。

ストレス状況になると人間はあちこちかゆくなったり、咳こんだり、おなかが痛くなったり、頭痛がしたりいろいろな表現をします。

 

あなたの場合はどのような感じですか?ぼくもポリポリ派です。しばらくパソコンをしたり、長時間運転したりすると、なんだかあちこちかゆくなります。まぁ他人に悟られない範囲だと思うのですが、掻いていますね。

 

 

こういった軽いストレスだといいのですが、自分では目をそむけたくなるようなストレス、かなり高度で重たいストレスを受けると人間は逃避行動を起こします。

 

そこでうまく逃避できたらいいのだけれど、そうもいかないような状況でがんばってしまうと、それが徐々に身体が病んできます。精神や心理も病みますが身体も病みます。

 

しかし、そういってストレスがはっきりと自覚できているのはまだいい方で、大部分がそのストレスに気が付かないのです。

 

自分の中で無意識的に消してしまっている、目をそむけてしまっている、目を伏せているものがあるのです。

そうした心理的なつっかえ、それは身体のつっかえにも現れてきます。

心理的なつっかえのことをトラウマと呼んだりします。

 

心理的なつっかえにも整体は有効なのでしょうか?

 

整体はつっかえをとることを基本的に得意としています。だいたいが身体のつっかえと思いがちですが、心理のつっかえも整体では対象としています。

 

たとえば打撲というのがあります。打撲は身体をつよく打ち付けたりしたらなりますね。転んだり、ボールが強く当たったり、タンスの角でぶつけたり。ああいうのは全部打撲です。もっと強く当たったり傷を負ったらまた呼び方は変わるでしょうけど、まぁ打ち身、打撲ですね。

この打撲は身体だけにとどまりません。人間は心にも打撲を負うのです。もちろん打撲の内容はさまざまでしょう。その程度も状況もその人その人です。

 

心の打撲は表から観えないだけでどの人にも存在すると思っています。

 

きびしい一言を言われた、叱られた、ため息をつかれた、親孝行できていない、理想の自分でいられない、思い通りにならない、フラれた、分かり合えなかった、かなしい、ひねくれている、好きなものがある、怒り、分かってもらえなかった、などなど・・・・。他にもいろいろありますね。

 

誰しも心に打ち身をかかえているのです。

 

心理的な打撲、心の打撲につきものなのが呼吸の乱れです。心理の問題は呼吸、息の吸い吐きに関係しています。

ここから考えてトラウマというのはハッとした状態が続いていることを言うのです。

 

整体は息を整えることを得意としています。

 

呼吸の乱れ、心理的なつっかえを身体のつっかえとして調整していくことで整体が心理的に落ち込んでいる人の助けになることができます。

整体って意外といろんなことができるんですよ。

 

本日もお読みいただき、ありがとうございます

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