整体と明想と

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師匠山本の出版記念講演会が近づいてきました。出版したのは「明想」についての書籍です。「明想」というと構えてしまう人もおられるかと思いますが、風水の暦から考えても、これから「明想」に対するニーズは高まってきますし、求められると思います。それと同時に多くの「瞑想」なるものが出現します。ビジネスとして出現するでしょう。ビジネス瞑想の波に飲み込まれてほしくないがための「明想」の書籍であり、出版記念講演会なのです。

最近思うことですが「明想」と整体はおもしろいものだと思います。通じる部分も多く、整体が「明想」に役立っていると思います。

参考にしている文献、今回引用させていただいているのは「解脱の真理」という書籍からです。

 

誰かにわからせてもらうことはできない

自分自身で偽りがわからなければ、誰かにわからせてもらうということもできはしない。真理到達への妨げとなっている迷路を話せるだけ

整体操法の時にお身体を拝見します。症状をお聞きします。「坐骨神経痛で」とか「腰がだるくて」とか「花粉症が」とか「めまいが」とか「耳鳴りが」とか「食欲がなくて」とか。キリがありませんのでこれ以上やめておきますね。とにかく様々な症状を訴える方がおられます。

いろいろな症状がありますが、お身体を拝見して背骨を観察することで異常の原因がわかります。「いま身体はこうなっていますね」「こういったお手当をしてください」というように進めていきます。例えば背骨が捻じれている人は身体がだるいとか重だるいとかおっしゃいます。むくみが、という人も捻じれている人が多いです。

そこにいくつかの生活をしていくうえでの障壁が隠れていることもあります。そしてそれは誰かによくしてもらおう、治してもらおうというだけではなく、自ら改善しようということが大切です。

 

お手当ては真理到達への道

「明想」は科学ですが最終的に到達するのはその人です。そのために師匠から学ぶことはとても大切です。師匠はこういう時に「ガイド」という言い方をされます。到達するために「ガイド」は必要なのでしょう。ナビがある方が間違えずに最短距離で進むことができます。しかし「ガイド」は道を歩かせることはできないのです。

クルマの運転をしているときにナビが「左です」とか言うんですけど、タイミングが合わなくて左折できないことってありますよね?左折ならまだしも右折は結構ハードルが高くないですか?そうでもないですか?走行しているレーンにもよりますか?そうですね。そういうナビに合わない時もあれば、あえてナビに従わないときもありませんか?自宅にナビを設定していて、近くまで来たらナビが示すのと違う道を行くことってありません?急にコンビニに寄りたくなったとか醤油を買うのを忘れて近所のスーパーに寄ることになったとか。

「ガイド」は案内はできます。でも実際に進むのは自分自身です。お手当をするのもそういうことだと思います。お手当をしている方って明想が進むのも早いのではないかと思います。

明想って上手下手があるそうです。明想が上手な人ってお手当てが上手な人ではないかな?って思うのです。

 

生き生きとみずみずしく生きていること。それが真理である。
自分が生命そのものであり、生命のあらゆる瞬間瞬間を生きること。それが真理である。

 

探求し見つけるもの

 

真理は発見されるべきものであって、只単に信ずべきものでもなく、引用すべきものでもなく、心の中で造り上げるべきものでもない。

真理は誰かにこうだと認定されるものではなく、自ら発見するものです。信仰とか信じるの世界ではなくむしろ機械的な存在です。公式でありシステムであり原則です。ですから心の中や頭の中で造り上げるものでもありません。そこにある真実「へぇ~」の世界です。探求していくことで自分で見つけるもの。そう考えると私たちは誰もがみんなトレジャーハンターであり、冒険者でもあります。

 

というわけで

どうやら道は開かれているようです。行かないという道はおそらくなくて、どうあれこうあれ行くのであれば早々に行った方がいいし、行くと決めた方がいい。お手当てをしながら自分の身体に目を向けるというのは行くための準備に近い。アイテムを揃えている状態に近いのだと思います。

装備を揃えて準備ができたらクエスト開始です。探求して自分で探すのです。

そういえば、自分で探すということって最近あるのかな?誰かからどこかから引っ張ってきた「目標」や「幸せ」像ばかりです。「目標」」や「幸せ」の形も探求してみるといいのではないかと。

最後にお知らせです

出版記念講演会のご案内です。

お申し込み受付中です。

ぜひご参加ください。

 

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