【整体エッセイ】「敵」という概念は関係性に埋没した人間の産物に過ぎない

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今日報道されたニュースです。

プーチン大統領 “予備役”の部分的動員表明 ウクライナ侵攻で | NHK
【NHK】ウクライナへ軍事侵攻を続けるロシアのプーチン大統領は国民向けのテレビ演説を行い、戦地に派遣する兵士について、職業軍人だけ…

なかなか終わりの見えないロシアによるウクライナ侵攻です。

いろいろと情報は錯綜していますが、早く終戦してほしいと願う日々です。

 

ロシア側からしますとわたしたち日本は敵国と見做されていますのでロシアからすると「敵」になります。ということは日本からするとロシアは「敵」ということになるのでしょう。

誰かが「敵」で誰かが「味方」だというのはあまり好ましくありませんが、なんだかそうなってしまっている。

 

ある書籍で読んだ一文が心に残っています。

何て言う書籍だったか忘れてしまったので作者の方、ごめんなさい。

「敵」という概念は関係性に埋没した人間の産物に過ぎない。

 

たしかに「敵」という概念があるから「味方」という概念がある。もちろん発生順序が逆なこともあるのかもしれないが。「敵」「味方」どちらから発生するにせよ、片方があるからもう片方が存在する。「敵」も「味方」も相対する双方の関係性に依存してる。

わたしたち人間の最大の悩みは人間関係であるとアドラーは言いましたが、関係性に左右されるのは人間というものの特性なのかもしれません。

わたしたちは人間の前にヒトであり、ヒトという土台の上に人間が乗っかっている。人間である前にヒトである。ヒトがヒト足らぬ以前に人間であろうとするところに人間の不安定さが隠れているのではないだろうか?

わたしたちは人間である。人間であるがゆえに他者と比較し一喜一憂する。他者と比べて己を知る。他者と協力することで自分以上の力を発揮し、さまざまな偉業を成し遂げる。

人間は生まれながらに他者に依存しないと生きては行けない存在である。生まれてすぐに立ち上がり、走り回る馬や牛の子どもとは大きな違いだ。人間の赤ちゃんは歩き始めるまでに一般的に約1年かかると言われている。もちろん個体差はあるものの概ねそれくらいかかる。歩き始めたと言ってもよちよち歩きで走り回ることなんてできない。自然界に天敵と呼ばれる天敵がいないのもひとつの要因かもしれないが、歩くだけで1年かかり、自分で生命の安全を確保できるまでは相当の時間がかかる。

それだけ人間は他者に依存して生きている。わたし以外の他の誰かがいないとわたしの今の生活を維持することはできないだろう。お肉を摂るために獣を捕獲して捌くこともしない。魚を釣ることはあっても毎日ではない。野菜もなかったら買いに行く。お金だって誰かがわたしにくれないと手に入れることはできない。そのようないろいろなことを他の誰かがしてくれてわたし一人の生活が成り立つ。

わたしたちは他者に依存しないと生きてはいけない。だからこそその関係性に埋没する。

その関係性によって大事なものを奪い合う。

そう考えるとわたしたちは人間という生活を営みながらもヒトとしてのわたしたちを忘れてはならないのだと思います。

 

ヒトという土台に人間が乗っかっている。ヒトという土台を忘れて人間が安定していられるはずがないのだ。ヒトが壊れれば人間は壊れる。ヒトが崩れれば人間も崩れる。

人間世界が今まさに壊れようとしているのはヒトがそれ以前に壊れているからに違いない。

ヒトというのは機械的です。ヒトの血糖値が上がり過ぎたら糖尿病になる。尿酸値が上がり過ぎたら痛風になる。つくえの角に強く膝をぶつけたら腫れ上がるし熱を持つ。疲れたら眠り回復する。アドレナリンが身体に入ると怒りやすくなり、セロトニンが分泌されるとしあわせになる。

ヒトは機械的であり人間が思っているほどかけがえのないものでもないのかもしれない。つながりもそれほど強くはないだろう。個体差はなく、どちらが優れているもない。あったとすればそのほうが亜種となる。

わたしたちは人間を享受しすぎた。人間という存在を神格化したのかもしれない。ヒトを軽視し人間を特別視したのだ。

 

ヒトの上に人間が乗っかっている。

わたしたちは今一度、人間世界の関係性を新しく構築するために、これまで壊れた関係性を修復するためにヒトを見つめなければならないのだ。

胸椎10番に異常があるのは腎臓が疲れているサイン。

それがアブノーマルの中のノーマルなのか、アブノーマルの中のアブノーマルなのかはわかれる。そう考えると整体というものはヒトも人間もどちらも等しく見つめているものだなぁと思うのです。

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