病気と病人について

新聞やテレビ、ネットなんかで
最近、いろいろな病気のニュースが発信されます。

また、有名人が大病になられた、というニュースも頻繁に発信されます。

病気に罹るということは
とても大変なことであり、
本人や周囲の人々を巻き込んだ大事件となります。

それは誰にでも
明日は我が身に起こり得る出来事である、と言えます。

病気になって弱気になることは
どなたでもあると思います。

大病であればあるほど
弱気になるのは
仕方がないと思います。

それが安定し、継続した社会生活を脅かすようなものだとなおさら、です。

もういいのかな、なんて
よくない考えが浮かんでくることもあります。

このうまくいかない状況に対する不安。

まだこれから改善されていく状況に対する不安。

これからどうなるのだろうか?

未来に対する不安。

この状況が改善されたら
不安から解放されるのだろうか?

病人でいた方が
この不安から逃れられるのではないか?

病人でいた方が
納得できる、できなかった言い訳。

いろいろなことが浮かんできます。

病人でいた方がいい
と、思っている自分がいることに気づくことも大切なことですね。

気づくことで
はじめて
病人でいることと
病気から回復することとを
真正面から
選択することができます。

病人でいることを
選択肢として持っている自分。
病人でいることを
選ぼうとしている自分。

もしか
病気が自分からのサインだったとしたら、
そのサインに自分はどう向き合ったらいいのだろう?

今朝、洗濯物を干しているときに
自分の身体に病気から回復してよい、という選択を告げました。

一番に浮かんできたのは
家族のことです。

妻や子供たち。
もっと一緒にいたいなぁ。

そのことと
病人でいることとは
比較にならなかった。

もう大丈夫!
治っていいよ!

野口晴哉先生は著書の中で

生くるは生き
死するは死ぬ

治療ということは
行為より心を大切にしなければならね

死生を見つめて
動じないようにならねば
治療ということはできない

他人の死生に動じない人はあるが
自分の死生に動じないようにならねば
治療ということはできない

と、書いておられます。

ほんの少しは近づけたのだろうか。

本日もお読みいただき、ありがとうございます♪

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