わたしとは?光とは?
わたしたちが考える自分とは何なのだろうか?
わたしたちは「常々考えています」。
最近流行りのドラマ「ミステリという勿れ」。その中で主演の菅田将暉さん扮する主人公のセリフ。「常々考えています」わたしたちにも常々考えていることがあります。
「今日何しようかな?」とかそういった類のこともあれば「○○さん大丈夫かな?」といった類のこともあります。
でもそうではなくて「常々考えていること」は光について、です。
光のことを「常々」考えたことがないという人は本来であればいるはずがありません。
なぜならばわたしたちは「常々」光を求め、光を探しているからです。
そういった声をかき消す何かに惑わされながら、毎日の生活を営んでいます。
そして生活に埋没するあまり、光を求めることも、光を探していることも忘れてしまうのです。
もちろん毎日の生活を回していくことはとてもたいせつなことです。
しかし、光を求めていることを思い出すこと、光を実際に求めることもとてもたいせつなことです。
それはわたしたちが望んでいることだからです。
ほんとうにわたしたちが望んでいることを後回しにして、どうしてしあわせを感じることができるでしょうか?
自己肯定感が低いと嘆く人がいます。
自己肯定感が低い原因を過去の記憶や経験に求める人がいます。
それは一見もっともらしい。
しかし、ほんとうに望んでいることを後回しにしていたら、自己肯定感なんて高くなるはずがないのです。
いつも後回しにされる自分。
自己肯定感が低い原因は光を求めることを後回しにしている自分なのです。
自分を大切にすること、自分を粗末に扱わないことは、光を求める自分を後回しにしないこと、なのです。
物質主義からの離脱を叫ぶ人がいます。
「お金じゃないのよ」なんて。
人間愛を謳う人がいます。
「愛こそがすべてだ」なんて。
わたしたちはお金がほしいわけではありません。
そりゃほしいですよ、ほしいですけど。
わたしたちは誰かと愛し合いたいわけではありません。
そりゃ愛し合いたいですよ、ですけど。
わたしたちはお金がほしいわけでも、愛がほしいわけでもなく、ただしあわせになりたいのです。
そうですよね?
わたしたちはしあわせになりたいと望んでいます。
お金があったらしあわせになるとか、愛する人がいたらしあわせになるとか、考えます。
たしかにそれは条件のひとつかもしれませんし、それがないとしあわせを感じられないと思っている人もおられるでしょう。
ないから、わたしは不幸なんだと。
しかし、考えるしあわせもそうだろうという想像の世界でしかありません。
多分、こうなったらしあわせになるのだろう、と。
でもほんとうはそうではありません。
わたしたちが光を探してる以上、光を求めている以上、光を得ることなくしあわせになることはあり得ないのです。
なんとなく本能的に感じていませんか。
お金を得てもしあわせにはなれないのでは?
愛する人がいてもしあわせになれないのでは?
それはある意味で正しいと言えます。
しかし、その本能の声もかき消されてしまいます。
けっきょく、しあわせになる方法を考えることをやめてしまい、また毎日の生活に戻っていくことを繰り返しているのです。
わたしたちは光を求めています。
わたしたちは光のことを「常々考えています」。
それも人間の本能だからです。
冒頭の一文に戻ります。
わたしたちが考える自分とは何なのだろうか?
このことを考えたことのない人はいないと思います。
深く考えたことのある人もいれば、サラッと考えたことのある人もいるでしょう。
思春期ゆえの迷いだと考える人もいるかもしれません。
わたしたちが考える自分とは何なのだろうか?
これは本能の声です。
そして光を求めることも本能の声です。
光の反対側にあるものは闇です。影です。
闇や影を求めている人はいないと思います。
ただ、すべての人が光を求めていないとするならば、それは忘れているだけです。本能の声が聞こえていないか、本能の声を無視しているだけなのです。
闇を求めますか?光を求めますか?
光を求めると共鳴するかと思います。
頭を経由せずに闇を求めると答える人はいないと思います。
自分を探すのはある意味で本能でもあります。
そして光を探すのも本能です。
自分というものを外側で探してもみつからないように、光を外側に求めてもみつかりません。
しかしわたしたちは「常々考えています」
わたしとは何か?
光とは何か?と。
「常々考えていること」はそれだけ大事なことだからです。
それだけわたしたちの中でも重要度が高いからです。
ただただやってきては嵐のように過ぎ去っていく感情を重要視している場合ではありません。そんなものを大切に保管しておかなく必要もありません。わたしたちはもっと重要なものを求めています。
光を求めようとしましょう。
聖者たちが求め、得た光をわたしたちも求めています。
愛光流では光明想というものを推奨しています。
まずは光を知ることから始めるのです。
光を求めることに年齢は関係ありません。
「常々考えていること」をみつめてみませんか?
もうそろそろ、ずっと先送りにしてきたことを取り返すときではないかと思います。
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