皆様には日頃より大変お世話になっております。心より感謝申し上げます。
この度私の師匠山本清次が瞑想に関する書籍を出版されます。
愛光流では「瞑想」ではなく「明想」という言葉を用いています。
理由としては「瞑想」は冥界の冥に目と書き、顔に布を掛ける目隠しをするという意味です。目隠しをされたのでは世界は見えません。暗いという意味合いですよね。暗くて前が見えない。お先も見えない。一寸先さえも見えないのです。
そうではなく皆様には明るい、向こう側本当の光の世界を見つめてほしいと思います。私たちはそう願い、明るい「明想」と呼んでいます。
こちらの書籍は「明想」って難しい??と思う方にもとてもわかりやすく説明されている書籍です。独習できるということも特徴的です。
私が驚嘆したのは解剖生理学の世界で「明想」を説いているということ。書籍のデザインにも数式が描かれているのがわかります。
私たちの印象では数式は単純に言うと1+1=2という世界です。「明想」はどうでしょう?「明想」というと何か特別力を持った人たちや選ばれた人たちの特権のように思っていないでしょうか?私も何を隠そうそのように思っていました。
でも違うんですよね。書籍の数式のように、1+1=2であるように、正しい知識を持って正しい方法で行うと必ず答えにたどり着く。師匠は言います。「明想」は科学です、と。正しい道を通れば誰もがたどり着くのが科学です。特別な力は必要ありません。
副題は〜真実の自分を発見する旅の終わり〜。
真実の自分というものがどこかにいるのであれば出会ってみたい。
もうそんなことも考えなくてもよくなります。
その旅は終わるのですから。
帯には
人生究極の目的ー
それは
光に
目覚めること。
目覚めれば、
そこには
「安心」と
「幸せ」が
待っている。
と書かれています。
人生の目的を探していました。光に目覚めることだったなんて思いもしませんでした。どうやったら社会の役に立てるのだろうとかどうやったらお金持ちになれるのだろうとか考えていました。社会の役に立つこともお金をたくさん稼ぐことも「安心」と「幸せ」がほしかったから。「安心」と「幸せ」はそこにはないことはわかっていても、方法を知らなかったのです。
本当の「安心」と「幸せ」を発見する道標になる書籍だと思います。
ぜひ手に取っていただければと思います。
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