鳥取県は自然の資源豊かです。
後ほどの画像は全国的にも有名な皆生温泉にあるカフェです。
愛光流では四柱推命を駆使し、五行の配分や命式から読み解ける傾向などを理解し、対象となる方へのアドバイスをすることがあります。
四柱推命鑑定や四柱推命の講座も行っています。
四柱推命を学んでいきますといろいろなことに気がつきます。
たとえば自分自身の命式を読み解いていくとしましょう。
「四柱推命を読み解けるんだったら自分自身の運命もわかるはず。そうしたら人生の失敗も躓きもないんじゃないのか?もし失敗したり、躓いたりしているんだったら四柱推命が当たらない、外れたということなんじゃないのか?」
こういう主張をされる方、おられます。
当たったとか当たらないとか。
「悪いことは信じない。いいことだけ信じる」とか。
人間はそれだけ自由に生きていけるのだろうか?と思ってしまいます。
もちろんおひとりおひとりの努力は必要です。その努力が報われる世の中であることを願いますが、そういったものでもない。
命(めい)というものがあり、運(うん)というものがあり、その中で人は自由に生きていく。
自分の命(めい)を知り、運(うん)を知ることで自由が生まれる。
好き勝手に何でもできるというのが自由なのではありません。
命(めい)を知ることで上下左右、奥行きが生まれる。
点を打つようなものです。その点から縦横無尽に展開していく。
命(めい)は人を現し、運(うん)はその流れを現します。
やはり運(うん)というものには波がある。
その波を何とかしようともがいていたあの頃の自分。そういった年表とでも言いましょうか、自分史とでも言いましょうか、命式を観ながらタイムスリップする。
四柱推命をまだ知らなかったあの頃。
波に飲み込まれていることも知らずに必死に足掻いていた。
どんどんどんどん沈んでいく自分をいま省みてどう思うだろう?
足掻いていたからいまの自分がいるのだろうか?
それともただ単に足掻いていただけで疲れただけだったのだろうか?
知らずに波に飲み込まれていたあの頃を振り返り、推命命式を観ながら「あの頃は苦しかったけど、あの頃の自分はがんばっていた」「どんどん沈んで行って苦しかったけどバタバタ足掻いていた自分がいまでは愛おしく思います」と。
運(うん)の運行を観て行きますと、年表や自分史は過去にさかのぼるだけではなく未来にも行くことができます。
何気なく感じていた未来の絵。誰にも言っていなくて形にもなっていない、存在しているのかいないのかも不明なくらいの未来計画書。
そういったものが運(うん)に書いてあることがあります。
次の波はどこにあるのだろう?
それは味方をしてくれる波なのだろうか?それとも落とし穴へと導く波なのだろうか?
その波をどのように乗りこなそう。
「信じる」とか「信じない」とかそういうことではない。
「あなた次第」でもありません。
自分のことを真剣に考えたいから命(めい)と運(うん)を知るのです。
命式を観ながらお話しています。
万年暦とケーキ。
甘酸っぱいとはしあわせの味。
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