目に見えないものが目に見えるものを作っています。
師匠は講演会や書籍の中で、因果の法則などで説明なさっています。
目に見えないものと目に見えるもの。
この関係性ってわかっているようで、わかっていないのだなと思います。
どこまで行っても、ついつい目に見えるものを捉えてしまう。
これまでの癖や習慣がそうさせるのでしょう。
癖や習慣が強い人ほど、どうしても目に見えるものを考えてしまう。
それはそれで仕方のない部分でもあり、癖や習慣であるから、新しい癖や習慣で上書きしていくより他はないのではないかとも思っています。
目に見えるものと目に見えないもの。
目に見えないものが目に見えるものを作っているのだと、頭で判っているつもりでも、実感としては乏しい。これも繰り返していくしかないのかなと思います。常に意識すると、心に誓っても、すぐに忘れてしまうのが、私のような者。
「ここにも目に見えないものが、目に見えるものを作っているよ」というような症例があるとわかりやすいのではないかと。
ある書物から
芸術上、後に残らねばならない必須の条件は霊性である
私は芸術、美術品、絵画とか焼き物、彫刻など、そういったものとはトンと縁遠いこれまでを送ってきました。文化系というよりはバリバリの体育系でした。
芸術がわかる人というのはおそらく、そこに現われし霊性を観ているのではないかと。
そう考えると、芸術といって浅はかにも絵画とか・・・と申しましたが、いわゆる美術といわれる品々以外にも芸術と呼べるものは多々あります。たとえばレストランで食事をすることも一種の芸術だろうし、コンサートで音楽を聴くことだって芸術です。舞台演劇を鑑賞するのも、空手の演武だって芸術です。日本にいる職人さんの作る工芸品だって芸術です。
それらの中には霊性だけが残る。
霊性のないもの、霊性が残らないものは芸術とは言わないのです。
そう考えると、ひとつの作品を鑑賞するときにも、目に見えないものを感じることができるのかもしれません。私たちが美しいと感じるもの、そのすべてに霊性を見出すことができるかもしれません。
もちろん血のにじむような訓練も必要かと思いますが・・・。
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