感性を研ぎ澄ます芸術とのひととき

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芸術の秋といいます。

芸術は私たちの日常的な意識を超えた超意識に直結する特別なものだと思います。
超意識とは潜在意識や集合無意識を含む領域で、普段の感覚や思考の枠を超えて、自分自身の本質や内なる美しさや豊かさと触れ合うことができる場所です。

芸術を鑑賞すると、自分自身の奥深くとつながり、自らの本性に触れる貴重な機会を与えてくれます。そして、いったい何を豊かと感じているのか、どのような美しさを大切にしているのかが映し出されてきます。

しかし芸術に触れる際に大切なのは、表面的な美しさに惑わされず、本当によいものを見極める眼を持つこと。

芸術には商業的な価値やトレンドに左右される側面もありますが、それだけでは私たちの超意識に響くものにはなり得ません。真に優れた芸術とは、作品から発するエネルギーが私たちの心に直接働きかけます。

それを見極めるためには、直感を鍛え上げ、自らの感性を研ぎ澄まし、自分にとって本当に響くかどうかを見つめることが重要です。

 

直感を鍛えるということが大切だと知ったのは、愛光流の門を叩いてからのことでした。
「鍛えられていない直感は山勘と同じ」とは師匠の言葉です。
それまで直感が鋭いとか、直感でわかるということに懐疑的だった私にとって、才能やそういったものではなく、鍛えることによって直感は磨かれるのだと知りました。

そして感性を研ぎ澄ますのです。

ということは、感性は研ぎ澄まされていないという前提に立っています。
「研ぎ澄まそう」と思いますと、何故だか急に鼻息が荒くなったり、肩に力が入って強張る。
そういうのが「感性を研ぎ澄ます」というものではないことは確かです。
少なくとも息は細く、長く、肩に力は入っていない方がいい。
感じ入るという方向も偏らず、全方向的に受け取る、というような感じでしょうか。

そう考えますと、旅行のツアーとかでバスに乗ってみなさんと一緒に美術館に団体で行くというのは、芸術を味わう機会を困難にしているのかもしれませんね。

 

芸術が私たちに教えてくれる最も大きなできごとがあります。
それは自分の中に眠っている美しさを再び蘇らせてくれることです。

日々の忙しさや情報の洪水の中で、私たちは自分の感性を忘れてしまいがちです。
しかし芸術に触れることで、自分の中の本来の美しさや豊かさが再び目覚めることでしょう。

最近では「ていねいな暮らし」とか「生活の質」がどうこうというようなことを言いますが、形だけていねいでいることに窮屈さを覚える人がいるのは、本来の美しさや豊かさを未だ忘れ、見失っているからです。

芸術は単に目で楽しむだけでなく、ほんとうの自分に出会うきっかけとなり、豊かな生き方を導く道標となります。
芸術は私たちに自己の本質に触れる鏡であり、感性を再発見する扉なのです。

 

せっかくの芸術の秋。
今度のおやすみには芸術を鑑賞し 静かにたたずんでみるのもよいかもしれません。

 

 

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