この世界における苦しみは、私たちにこの世が本来の住処ではないことを思い出させるための贈り物のように感じます。
こうした経験を通じて、目に見えるものを超えた何かを探求する旅に駆り立てられます。
それは単なる安楽を超えた真の目的を追い求める行為です。
私たちの理解力には限界があります。
自分自身の体験を基にしか世界を捉えることができず、未体験のものを想像する際には既存のイメージの枠を超えることが難しいのです。
この制限が新しい可能性を拒む原因となることもあります。
既存のイメージに固執することで、自分自身を発見するチャンスを逃しています。
では、どうすればその制限を超えられるのでしょうか?
それは信じることではなく、体験に根ざした直観や直接的な経験に基づいて生きることから始まります。
頭で理解しようとするのではなく、身体と心で深く感じ取ることが真の意味での発見を可能にします。
何かを信じるのではなく、実際に体験し、その真実を自らの中に根付かせることこそが本当の基盤となります。
また、成果だけに拘る生き方もそろそろ見直すべき時かもしれません。
たとえば、お花畑に毎日出かけたとしても、新しい花が毎日咲いているわけではありません。
新しい花が咲いていることを期待し続けるのは、むしろ自分自身を縛り付ける行為です。
私ごとになりますが、最近静寂ほど心地よいものはないと感じています。
外界の騒音を遮断するだけでなく、内なる声に耳を傾けるための貴重な時間を与えてくれます。
静寂の中にこそ本性があるのだと、確信しています。
この静寂の中でこそ、私たちは本当の自分に出会うことができ、そしてこの出会いが私たちの原動力となります。
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