相互の変容と共感

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最近読んだ本の一節からです。

「あの人は他人のことはよく解るくせに自分のことはちっともわからない」
よく私たちは、うっかりそう言う事があります。けれども、それは実際において有り得べきことではありません。
人のことが本当に解れば自分のこともよく解り、自分がよく見えれば人の姿もただ一べつで済む筈です。

また、人間というのは絶え間なく育つものです。ですから相手は何十年来の知人でも会う度にめずらしく感じられるのです。
「あの人はちっとも変わらない」
と云って喜ぶのは、ある場合いい意味にもなりましょうが、実はちっとも成長していなかったと云う悲しむべき結果であることもあります。

相手が動く人間である場合には、ちょっと解りにくいかもしれませんが、たとえば相手を書物におきかえてみたら、そういうことはすぐに解ると思います。

いい本というものは、一回読んでそれで解った、と思うのはあやまりで、何回も何十回も、ついには一生の友として送るべきです。子どもの背丈を柱にしるす様に、それは自分の為のいいメモリとなりましょう。

他人をむやみに否定することも、むやみに肯定することも単なる流行りのようなもので、どちらが正しいとやり合っても、正解はない。

相手のことが気にかかるのは、相手にばかり気が向いているから。それはそれでいい部分もあるのだけれど、それだけで終了してしまったらつまらない。

出したエネルギーが返ってくるように、必ず返ってくるものがある。
それを丁寧に受け取れば、相手に気を向けるのと同じように自分にも気を向けることができる。

「あの人がちっとも変わらない」のは、もしかしたらあの人の大きな変化を私が受け取れていないだけかもしれない。

いろいろなものが干渉し合って存在している以上、出会う度に新しい感覚を楽しむくらいでよいではないかと思うのです。

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