書と背骨に宿る表現

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目は口程に物を言うと言います。

「目は口ほどに物を言う」の意味は、「感情のこもった相手の目つきは、口(言葉)で説明するのと同じように分かりやすく気持ちが伝わるということ」「真剣なまなざしは口(言葉)で説明するのと同等の説得力・影響力を持っているということ」になります。

人間の目・目つきには、「喜怒哀楽の感情」が最も分かりやすく顕著に表れやすいという特徴があります。

その特徴から、敢えて口・言葉でしゃべって詳しく説明しなくても「真剣なまなざし・目つき」を見れば、何を言いたいのか(何を伝えたいのか)が概ね分かってしまうということを、「目は口ほどに物を言う」という慣用句は意味しているのです。

また、「目は口ほどに物を言う」には、「口先だけの言葉で嘘を言ってごまかしていても、その目を見れば嘘か本当かは分かる」といったニュアンスもあります。

本心は言葉よりも行動に現われるということも言います。

それらが真実かどうかは、横に置いておいて、とにかく私たちは目に見えないものを感じて、判断しているようです。

バーバルコミュニケーションとノンバーバルコミュニケーションというものもございます。

バーバルコミュニケーション

バーバルとは、英語で「言語の」という意味なので、バーバルコミュニケーションとは、会話や文字、印刷物などで行われる「言語的なコミュニケーション」を意味します。

これは、言語の違いから、通訳を介して行われる会話も含まれますし、電話やメール、手紙など、言語の伝達でコミュニケーションを行うことも、一般的にバーバルコミュニケーションと呼ばれます。

また、バーバルコミュニケーションでは、会話内容を文章化し、わかりやすい形で保存することが望ましいとされています。

例えば、重要な役員会議では議事録が作成され、関係者が閲覧できる場所に保管されますが、このような議事録もバーバルコミュニケーションに含まれます。

ノンバーバルコミュニケーション

バーバルコミュニケーションが言語の伝達を重視するのに対し、ノンバーバルコミュニケーションは、できるだけ言葉を交わさず、表情や声のトーン、身振り手振りで、相手とコミュニケーションすることを指します。

また、ノンバーバルコミュニケーションはアメリカの有名な心理学者である、アルバート・メラビアン博士が提唱した「メラビアンの法則」に基づき、導き出されています。

1971年代にメラビアン博士は「話し手が聞き手に与える印象」を独自に実験し、その結果、実に93%の被験者が、言葉とは関係のない相手の表情やしぐさ、声のトーンで、相手の印象が決定付けられたことを明らかにしました。

具体的には、相手の表情やしぐさ、視線に影響された者が55%、声の大きさや、話の速さ、声のトーンに影響された者が38%、実際の言葉や、会話の内容に影響された者が7%、という結果になっています。

これらは言語情報(Verbal)聴覚情報(Vocal)視覚情報(Visual)の3つの頭文字を取り、3Vの法則(7-38-55のルール)とも呼ばれています。

メラビアン博士の実験結果はとても興味深いです。93%の人が会話の内容ではなく、その他の非言語的要素から相手の印象を決定していたとのことです。

目に見えないというと何だか難しい気もしますが、何となく普段からしていることのようでもあります。

 

芸術を観る目を私は持ってはいないのですが、芸術作品から読み解けるものも本当はたくさんあるようです。

「人」の価値をみるに、常に墨蹟によって判断することを得意としている。
~中略~
墨蹟とは主に「書」である。
~中略~
書といっても、書家がいうような結体完備運筆巧致を云々するのではない。習字した書であっても教養のない釘折れでも、そんなことかまわないのである。筆蹟に表われたる気格、心韻によって察するのである。

ここに軽薄な与太先生があったとする。すると、その人の筆蹟にちゃんと与太が表れていて便利なのである。
~中略~
墨蹟の上に一番鮮明に表現されるものは、至純、横着、氣宇の大なる者、小なる者、気取家、虚勢、虚飾、雅趣ある者、なき者、下等人物、上品なる者、熱ある者、なき者、学者、無学者、信力ある者、なき者、強き個性、弱き個性など、大体表われるのである。

背骨にその人が表われます。
背骨は自分では観ることができません。ですから、私たちのような整体操法指導者が背骨を確認し、背骨の状態をお伝えします。

たしかに病状で書く手紙や文字は弱弱しく感じるものです。その人なりに目いっぱい気張っているのですが、力強さは感じません。

「書」を観る目も養えば、背骨を観るように、観ることができるようになるのでしょうか?

「書」も背骨も同じように、表現と非表現が同居しているのが表われ出ている現象のように思いますし、それが「書」でもあり、背骨でもあり、お身体の状態です。

目に見えてはいなくても、どこかに表現され、どこかに痕跡を残している。

私たちはそれらをお互いに感じ、相互に影響し合いながら生きているものなのでしょう。

 

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