風水の現場に行きました。
風水に興味を持たれる方が増えてきました。
昨今の占いブームの影響もあるのでしょうか?書店に行っても占い、四柱推命や風水のコーナーがあるくらいです。本棚には四柱推命や風水の書籍が並んでいます。
四柱推命や風水の本棚の前に立ち、何やら書籍を眺めている人もいらっしゃいます。
ゴミ箱をどうしたらよいとか、お財布がどうとか、玄関がどうとか。。。。
「それは風水なのか?」というような内容のものもあれば、風水的な内容をかじっているようなものもあります。
ともあれ多くの人が風水の興味を持って下さるのはとてもうれしく思います(^^)
私もいくつか記事を書いていますので一部をご紹介します。
風水のやり方云々というよりかは風水のしくみとかどういったことが風水はできるのかということを書いた内容のものが多いです。
よろしければご一読ください(^^)
愛光流からだと心整体、愛光流では整体も勉強しますが、風水も勉強します。
整体も風水もそうですが、局所局所だけを観ていてもわからないことの方が多いです。
整体で実際にお身体を拝見しないとわからないことが多いように、風水も現場に行かないとわからないことが多いです。
これは整体操法現場ではもちろんのこと、風水現場に実際に行ってわかったこと、感じたことでもありました。
以下は最近読んでいます書籍の一文の抜粋です。
自然の運行にともなう時間をていねいに生きていると、ひとりの個人が、そこに、そのように、存在していることの背景にある連関が見えてくる。人間というのは「環境と心と魂をも全部ひっくるめてひとつのもの」であって、ふだんの生活、環境、全世界の動きの中のひとつとして人間を観察していくと、そのつながりは、どんどんひろがっていく。
風水は環境を観ている。
整体は身体を観ている。
そのような認識では整体と風水の関連がわかりません。
人間というのは「環境と心と魂をも全部ひっくるめてひとつのもの」です。
ここに身体という言葉は書かれていません。
身体が人間の一部ということは当然のこととして省かれているものなのかもしれませんが、そうではない一文として読み解くことだってできそうです。
つまり人間というのは「環境と心と魂をも全部ひっくるめてひとつのもの」であり、環境と心と魂で構成されている。多くの私たちが人間と思っている、人間と認識しているものは、ここには一切書かれていないのです。
多くの私たちが人間と認識している、ひとりの個人という存在は、自然の運行にともなう時間をていねいに生きていないと見えてはこないのです。
多くの私たちは自然の運行とは別の時間を生きているようです。
整体が身体を観て、痛いところを治してくれるものなのだという認識や、お財布をどうこうしたら金運がよくなるという風水的ものも、すべては隔離された局所的なもの、即時的なものでしかなく、まるで環境と心と魂をどこかに忘れてきたようでもあります。
「ふだんの生活、環境、全世界の動きの中のひとつとして人間を観察していくと、そのつながりは、どんどんひろがっていく」とありますが、そのすべてが集約されたのがひとりの個人という存在として現れているのではないかと思うのです。
整体も風水も同じようなものだ、とまでは言いませんが、人間を環境と心と魂のひっくるめた存在だと認識し、調整していくのはよく似ていると。
このようなことをですね、風水現場で感じた次第です。
みなさまとシェアできたらと思って書きました。
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