感覚との付き合い方

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感覚が鋭い。

感覚が鋭い人、感覚が敏感な人は何か特別な人のように思う。

自分にはわからない感覚がわかるのだから特別なのかもしれない。

わからない自分をダメだと思い、わかるという人をすごいと思う。

 

感覚の働きって自分と他をわけること。

何かを感じ、自分との距離を測る。

感覚とは常に自分を孤立させる存在なのだ。

 

できるということはやることもやらないことも自由自在を意味すると思っていて、例えば車の運転はできるけど助手席に乗ることだってできる。ジュースを飲むことも「今はやめとこう」もできる。

感覚はどうだろうか。

「見よう」「見ないでおこう」できるのかな?どのレベルで?脳が無視をするレベルでなら可能かもしれないが、感覚としては入力されている。

「聴く」「聴かない」。静かな部屋にいて水の音が聴こえる。爆音が響くライブ会場で携帯電話の着信音に気が付かない。

 

感覚は選択制でもあるようだ。

選択できる。選べるものがあるということ。わかれているということ。

やはり感覚はわけるために存在する。

 

鈍いのも困るけど、鋭いのも困る。

敏感マウントはやめてもらいたい。分離が強いだけだから。

 

たったひとつのものがこの世を作っている。

わけるというのは便宜上必要なだけで、要らないときには倉庫にでもしまっておきたい。

 

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