個性的であろうとする
個性というものがもてはやされた時代がありました。
個性的であろうと誰もがしました。
その人しかできないこと、その人独特の感性、大量生産できないその人だけのブランド。
オンリーワンがすばらしいのだ、と。
個性的であろうとする反面、みんなと一緒、一般的、普通でいようとする心理も働きます。
こういう言い方はどうかとも思いますが、日本人というのはそういった心理が強いようです。
個性的であろうとしながら一般的でもあろうとする。
矛盾であろうことはわかりきっているようなものですが、求める。
そもそもわたしたちは何のであるかと考えたときには、ある意味で一般化されたものだろう。
たったひとつのものから現れ出たわたしたちだから源は同じという意味合いでは一般化されたものなのかもしれない。
しかし現れ出た瞬間には個性的になる。わたしたちが現れ出たわたしたちを見た瞬間、個性的になる。
わざわざ個性的であろうとする必要はないし、この世で一般化しようとすることにも意味はない。
木漏れ日をみました。
一筋の光が幾重にひろがります。一筋一筋はさまざまな表情をしています。
わざわざ個性的であろうとする必要はあるのだろうかと思います。
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