我田引水
大型連休となりました今年のGWですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
わたしは普段と変わらない生活です。
大型連休、最後の羽目外しではないですが、株価の影響や世界情勢の影響などが現れるこれからを見越して、そういう風に表現なさる方もいらっしゃいます。
鳥取県内も連休が始まると急にクルマの数が増えだしました。県外ナンバーの車も多く見かけます。
商業施設などもたくさんの賑わいのようです。鳥取砂丘なんかもいっぱいのようですね。
残りのGWも楽しく過ごしていただきたいと思います。
いでさらえ
地方に住みますと、いろいろな役割りや総出で行う行事、作業などがあります。こういったものは不参加で済ませることもできるのですが、その場合には罰金がある。高齢の方がおひとりで住まわれているとか、さまざまな理由で欠席されるときには後日その分のお金を支払うのです。
部落や集落の単位で行う行事、作業もあれば、そこに関係する人たちだけが対象の行事や作業もあります。
そのひとつが”いでさらえ„です。わたしは昨日まで”いでさらえ„だと思っていました。だって周りの人がそう言うからです。移住者のわたしには「へぇ~”いでさらえ„っていうのがあるんだぁ~」程度のものです。
そのまま早10年以上が過ぎました。
”いでさらえ„ではなく”いでさらい„なんですね。
毎年GW中は”いでさらい„でかりだされるのが基本形。
”いでさらい„ではなく”いでさらえ„で行かせてください。
”いでさらえ„で休憩中に撮った一枚です。
”いでさらえ„でしか見ない顔もあり、安否確認や近況報告の場でもあるのだなと感じます。
人のうわさ話があるのも毎度のこと。
我田引水
”いでさらえ„はその水路に関係する田んぼを持っている家の人が対象です。
わたしの妻の実家が田んぼを持っていて(もう何年も作っておらず、貸している田んぼがあるそうです)お米を作ろうが作るまいが関係すると対象になります。
”いでさらえ„は上流の方からはじまり、下流へと進んでいきます。
時間になると上流の指定の場所に集合し、点呼をとって、作業開始。
河を堰き止めて、水が水路へと流れ込むようにしてある。それが各田んぼへと流れてくるように造っているのですから「みごとだな」と思います。昔の人が作って、それを修復修繕して、今でも使っている。
他人のことを考えず、自分に都合がいいように言ったり行動したりすること。自分に好都合なように取りはからうこと。自分の田んぼにだけ水を引き入れる意から。
例年参加しますこの作業。
少々不思議に思っていたことがありまして、上流で集まったみなさまとは最後下流で会うことがない。ずっと一緒に作業をしている同じ部落の方もおられるのですが、みなさんがどうというわけではない。お聞きしてみますと、みんな自分の田んぼの所が終わると帰っていくそうです。そんなことってなかなかありませんよね。
たとえば小学校時代の友人。仮のAさんは学校の近くに住んでいましたが遠足のときに家の前をみんんがぞろぞろと並んで歩く。Aさんだけが「家、ここだから」と先に帰宅することはありません。
”いでさらえ„は自分の所までで終了していい。
なんて大人な集まりなんでしょう。
わたしは一番下流に田んぼがありますから、最後まで作業をしていました。
我田引水ってこういうことかって思いました。
おもしろいですね、同じように下流まで作業するものに急に仲間意識が芽生え始める。
たくさん近況報告してくださいました(^^)
滞ると水も濁ります
水路の中には枯草や折れた木々の欠片も流れてきます。土や泥も流れてきます。それらがどこかで滞留し、集まって固まり、堰きのようになり、流れを止めてしまう。
堰き止められて滞ったものは濁ってきます。
堰き止められたものを取り除いてあげると、水路の水はサラサラと流れ出し、しばらくすると流れる水も澄んできます。
人間の身体も同じように堰き止められて、滞ったものがあると濁ってくる。停滞したものがあるから流れが悪くなる。
そういったものが不調の原因だったりするのだろう。
頸が神経を押さえて手が痺れるのも同じようなものか。
人間の感情も同じようなものだろう。
流れていないと滞るのだ。
本来はサラサラと流れているものが人間なんだろうな、と。
我田引水って人間の歴史のようなものだと感じます。
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