健康や元氣を求める人は多いです。
健康になりたい、元氣になりたい。
亡くなる直前まで、健康で元氣でいたいと願います。
「ピンピンコロリ」というのは、ある種の標語になっているようです。
今ではお医者さんも「ピンピンコロリ」という言葉を使い、健康寿命を延ばそうと啓発なさっている。啓発しなければならないというところが、本来なかなか難しいということなのだろうというところです。
「自分のことは自分で」とか「寝たきりになってまで」というように言葉にする人もいらっしゃいますが、そうは簡単なことではないのが現状のようです。
今の時代は生きていることが複雑になってきているようにも思います。戦時中や敗戦後の復興の時期には、それこそ毎日が生きるために、ご飯を食べるために精一杯だったことでしょう。しかし、今やご飯を食べるためだけに生きることの方が難しい。形上だけでも豊かになった日本では食べることだけは苦労しないのかもしれません。半面、生きることを止めてしまう人が多くいらっしゃるのが現状のようです。そういった意味で今の時代は生きることが複雑になっているのかもしれない。そんな中で「ピンピンコロリ」というのは幻想かもしれませんし、目標とすべく標語的なもの。そう考えますと、健康や元氣という言葉の意味を今一度考えてみないといけないのかもしれません。
おかしなもので、比較的年齢の若い方で健康になりたい、元氣になりたいと願う人はあまりいらっしゃらないのかもしれません。
確かに健康や元氣が大事なのは、頭では理解していても、それを強く求めるというところまでは少ないのかもしれません。
一方で、それなりに人生経験を積み重ねた年齢になると、健康でいることや元氣を求める割合が多くなります。
そもそも「元氣」という言葉のイメージも、その人その人それぞれです。
「元氣」という言葉は知っているけど、「元氣」という漢字は書けるけど、意味は知らない。
私たちの師匠は文字よりも意味を覚える方が大事だとおっしゃっていました。
「元氣」という意味を知り、快活に、健康に生きていく。
言葉の意味を知ると、素直にそう思えてきます。
では「素直」とはどういう意味なのでしょうか?
「素直」とは、素に対して直ぐに反応するという意味です。
「いいな」と思うことに、素直に反応できる。
しかし、それができるのははじめに元氣だからです。
元氣でなかったら反応しませんし、素直に行動することができません。
頭で、概念で素直でいようと思っても、本来は違いますが、始まりはそれでもいいのかなと思います。というのも、頭で、概念で思っていても、身体はいづれそのように動くからです。そのはたらきはオートマチックです。何かを操作しなきゃいけないとか、人為的に何かをしなきゃいけないということありません。反対の操作しようと人為的に何かをしようとすることが不自然であり、素直さを欠くことになります。
ひとは生きて、ひとはやがて死んでいく。
これこそが元氣の道です。
だから元氣でいることはよいことです。
「今日は一日疲れたから1時間早く寝よう」 それでいい。
そして「明日起きたら花に水をやろう」 それでいい。
そのまま、あるようにあればよい。
それが私たちの考える「元氣」というものです。
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