解るということについて

自分を理解し、
他人を理解することは
究極の愛です。

 


 

僕が整体に興味をもつようになったのは、
大ざっぱに言うと、
もっとその人を
深く観たかったから。
もっとその人を
深く理解したかったから。

 

その時の僕は、
何か自分に対して
不足の感情ばかりもっていました。

 

自分探しの旅、ではないですけど
自分って何なんだろう?
っていう漠然とした思いがありました。

何かしたい自分。
もっともっとできる自分。

怖さもあって、不安もあって、
でももっと可能性を秘めた自分がいてそうな気がして。

 

 

自分ってこんなんじゃないんだよ!って。
そう思っていました。

でも、どうしたらいいのか
わからなかった。

自分がわからないのに、
他人のことがわかる、
なんて不思議なことですよね。

多分、ない話だと思います。

治療術を求めて
学びだした整体の世界ですが、
背骨の状態に
身体や心の内側の状態まで現れている、
その人の特有の背骨の癖を理解することで、
その人をより深く理解することができる、
その深さに驚きと喜びを持つようになりました。

僕は
どちらかというと
好き嫌いで物事を判断しがちであるけど、
その反面合理的に物事を進めたい部分もある。

感情がすぐ現れる場面もあれば、
思考に思考を重ね、
結局、何も行動できなかったり。

どちらの自分も好ましく思わないけど、
どちらも間違いなく自分である。

それも背骨の癖に現れている。

そのことを学ぶにつれて
他人のことも少しずつ
理解できるようになってきた。

自分を理解し、
他人を理解することは
究極の愛かもしれません。

そうなんですよ~!
考えれば考えるほど
悩めば悩むほど
内側にこもる自分!
なんてかわいいのでしょう!

本日もお読みいただき、
ありがとうございます♪

 

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