私もそうでした! 愛光流「その年を読む!」の講座で四柱推命と風水に出会った頃のお話

明日は愛光流2024年を読む!in琴浦の日です。

私がはじめに愛光流主催の「その年を読む!」の講座に参加したのは、はや十数年前になります。
当時は愛光流の講座に通いはじめ、愛光流のことを知らないまでも、先生やスタッフの方々は存じている。
その程度でした。

なんだか不思議な愛光流の講座。
お話を聞いていたい。
毎月何か得したような、いい話を聞けたような氣がする。
平日の講座だけど、休日祝日関係ない仕事だから、せっかく平日に休みを取らなきゃいけないなら、愛光流の講座の日に休みをもらおう。

そんな気持ちでした。

 

定期講座に参加していますとスタッフの方から「来週の講座は特別講座になります」とアナウンスされました。

「特別講座?」
「何ですか、それは?」
「私も参加しても大丈夫なのですか?」

と、

矢継ぎ早に思考が回る。
心配性と大阪弁でいう所の「ビビり」が完全に発動しました。

「特別」とアナウンスされると、私は「特別側」だと思う人もいれば、私は「弾かれる」と思う人とどちらもいらっしゃると思いますが、私は完全に後者でした。

しかしよくよく考えると、アナウンスしておいて「あなたは弾かれる側だからダメよ」と言うはずもないのですが、つくづく育ちの浅ましさというのを感じました。

「特別講座」だからと言って、参加できる人を選別していることはなく、講座への参加手順や講座で話される内容が「特別」に特化したものという意味でした。

「その年を読む!」という内容に特化した講座。
まだそのときには、その講座の意味さえも知りませんでした。

 

というのも当時の私は、その年なんて、またひとつ年齢を重ねる、子どもが一つ上の学年になる、新しい職員が増え、産休が明けて戻ってくる職員がいて、定年退職の職員がいて、という感じで、特に私自身の生活に何か変化がある由もない。

急な人事異動や生活上の浮き沈みが多少あるかもしれないくらいで、知るすべもない。
そんな状態でした。

 

私のあの頃に比べたら、占いやスピリチュアルに対する認知や理解も深まりました。
私のあの頃は「占い=怪しい」でしたし「エビデンスは?根拠は?」「占いなんて信じる奴が信じられない」といった様子でした。

ずいぶんとそういった偏見はなくなりましたが、心のどこかに過去の偏見がまだ潜んでいる人にこそ、お伝えしたいと思い、書いています。

 

はじめて参加する「その年を読む!」の講座でしたが、さすがに定期講座よりもたくさんの方が参加されていて、まだ数回しか参加していなかった定期講座では見かけたことのない人もお越しになられていました。

そして先生やスタッフの方々と何だか親しげに話されている。
「さすが愛光流。多くの会員さまが特別講座に来られているのだな。見たこともない方が多いけどみなさんと親しげになさっている。長い間通われている会員さまなのだろうな」と私は新参者に徹していました。

後々お聞きしますと「その年を読む!」の講座は大変な人気講座で、鳥取県外からも参加される方が多く、経営者さまやビジネスマン、多くの講師たちも参加される講座だったそうです。ですので、整体の定期講座にはお越しになられなくても、「その年を読む!」の講座だけは参加される方も多いそうです。

そう思い返すと、どこかで見たような?書籍やインターネット?ブログ?講座?どこかで見かけたような方々がおられたような?おられなかったような?無知とは怖いものです。

 

「その年を読む!」の講座はおもしろかったです。
自分で経営やビジネスをなさっている人、講師業をなさっている人が参加し、ヒントを得ていくのがよくわかる。
よくわかると言っても、お勤め人だった私は単なる「お得情報が聞けた」くらいにしか思ってなかったのだけれど・・・。

 

「その年を読む!」ことで、その年を読み解き、起こりうる事象を参考に、備えることで安心を得ることができる。
四柱推命や風水による対策もはじめて聞いた時には「何それ?」でしたが、同時に「そんなことで自分や家族が守れるならやらない手はない」と思いました。

 

「その年を読む!」の講座ですが、私もはじめはわかりませんでした。
今振り返ると毎年毎年をそれほど貴重に生きていなかったようにも思います。
「今年も楽しくやれればいいや」くらいの毎日で、運がいいとか悪いとかもなかった。
たまにコンビニで募金したり、気が向いた時には神社に行き、心配事があった時には神さまに祈る、そんな感じの私でした。

そんな私だったからこそ、どこかにいらっしゃる私のような人に気が付いてほしいと思います。

私たちは法則性の中にいて、法則性があるからこそ決まってもいて、再現性もあって、エビデンスすら存在する。
しかし法則性の中にもできることは無数にあり、物事の捉え方やポジティブ思考というようなまやかしではなく、法則性の中に対処法が存在する。そしてそのことを多くの人は知らないのです。

多くの人は法則性の中でもがいている。
多くの人は法則性の荒波に飲み込まれ、一喜一憂し、「いつか」を夢見ています。

荒波が来るのなら避けたらいい。
荒波が来ていることすら、わからない人がほとんどなのです。

私も以前はそうでした。
「その年を読む!」の講座にただ参加しているだけ、でした。

荒波が来た時に気が付いたのです。
「あっ!荒波が来ている」と。

気が付く瞬間は人それぞれだと思いますが、みなさまにもその瞬間がやってきますことを、私は確信しています。

明日は愛光流2024年を読む!in琴浦の日です。
私自身も楽しみにしております。

寒くなることが予想されます。
会場にお越しの際は温かくしてお越しになられてください。
お待ちしております。

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