私事なんですが、といいますかホームページのブログに私事ではないことを書いているのかというと甚だ疑問ではあります。
というわけで私事ですが、先日むすこが寮から戻ってきました。テストとレポートの合間を縫って「たまには」ということで自宅に帰ってきました。
わたしはクルマで送迎係です。
むすこを寮の前まで迎えに行き、ピックアップして自宅へ戻ります。
むすこは小学校中学校とサッカーをしていて、その送迎も連日わたしが行っていました。
雨が降る日も槍は降らないか・・・風の吹く日も送迎をしていました。疲れ果ててすぐに寝入ってしまうむすこの顔を眺めながらドライブしたものです。
送迎のクルマの中ではたくさんの話をしました。何となく言いにくいことではあるのだけれども、これくたいなら言えるというギリギリの範疇。家族、親とはいえむやみに踏み込んではいけない部分と家族、親だからこそむやみに超えていける部分とがある。
まぁそんなこんなで、今回も送迎係。
久しぶりに会うむすこは自然といろんな話をしてくれます。テストのこととかレポートのこと。実験ことなんかも話してくれますし、失敗談、友だちとの話もしてくれます。
この間「どうしておれたちはモテないか?」について友だちたちと話していたそうです。部活仲間や寮仲間、研究室の仲間だそうです。
わたしは「そうか、そうか」と聞いていました。結論は「バイトしろ」だったそうです(笑)
むすこも「その結論はないよな(笑)」って。
バカ話。でも討論というか意見を交換し合おう、研究しよう、探求しようというのがおもしろい。学生らしいバカ話。
それから「しあわせについて」も友だちたちと話したそうです。ちょっとびっくり。
「答えは出なかった」と。
「3時間あまり話した」と。
男ばかり3,4人集まって。
多分わたしたちも「しあわせについて」は考えている。
多分「なりたいもの」の最上級が「しあわせ」であり、どうやったら「しあわせ」になれるのかなんて大人になったって追いかけるテーマなのだろう。
むすこのように、むすこの友だちたちのように、誰かと恥ずかしがることもなく「しあわせについて」3時間も話すことはないのかもしれない。
おそらく自分自身とも。
「結論は出ない」ものなのかもしれないから、いくつかの仮説を立てる。
おそらく「お金」はあった方が「しあわせ」に近づくんじゃないかと誰もが思う。でも一方で「お金」だけでは「「しあわせ」ではないことも、経験したことはないけれども知っている。お話ものの物語はたいていそうだ。「お金」だけが「しあわせ」じゃないっていうやつ。
「誰か」がいたら「しあわせ」なのかもしれないけれど、「誰か」との人間関係で悩んでいることだってある。あるどころか結構多い。
「お金」だって「誰か」だって「しあわせ」の普遍的な法則にはならない。絶対違うともならないけれど、これで十分というものでもない。
ただ、むすこがこういうことを友だちたちと話ができるってめちゃくちゃいいことだなと思っていて、数学的な答え、解というものは出ないかもしれないが、普遍的なものを探求していこうとするのはおもしろい。
わたしなりに思うこととしたら、多分「しあわせ」というものは有機の世界から探すと見つけることができないのだろう。無機の世界から感知することで限りなく「しあわせ」というものに近づくことができるんじゃないかと思っている。
という話をむすことしました。
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