整体という言葉、整体そのものを作ったのは野口晴哉先生です。
野口先生の書籍の中から一節、ご紹介いたします。
治療ということ体を観ること もとより大切也
されど人間を観ること もっと大切也
整体に通われる方、長く通われている方はそうではありませんが、そういった方々でも一番最初にお越しになるきっかけ、動機は体のことです。
どこか痛いところがある。調子が悪いところがある。
そういったきっかけで整体のドアを叩く方がほとんどです。
痛みが治まったら、それでいい。健康とはそういったものではなく、痛みがないから健康であり、熱がないから平常運転なのかというとそうではありません。
大きな病気はそうではないことの方が多い。知らないうちに、そっとやってきていることがほとんどです。
そうならない為にも、いろいろな知識を得て、対策をする。そのために整体に通われている、講座に通う、のはとても正しい方法です。
治療ということ体を観ること もとより大切也
野口先生も治療という側面から考えても、体を観ることは大切なことであると説いています。もとより、とありますので、「言うまでもない」と言ったニュアンスでしょうか。
専門的な知識は必要です。もちろんその通りです。インターネットや誰かが言っていた健康法がどれだけ多いことでしょうか。専門的な知識の基づいたものでないと心配ですね。
されど人間を観ること もっと大切也
野口先生は「されど」です。治療というのだから、体を観ていく「言うまでもなく」大切です。
「人間観ること」は「もっと」大切なのだと説いています。
「人間」というと私たち個人個人のことのように思います。
たしかに万人に同様の効果をもたらすとお墨付きで認可されたおクスリでさえ、効果は効きやすい人と効きにくい人があります。1錠で効かない場合は2錠処方されることがあります。
「人間」というと心や感情が存在するようにも思います。「ヒト」というと無機質な印象ですが「人間」というと何となく温かい印象がします。その違いは感情ではないかと思います。
「人間」には感情があるんだ、と仮定して進みます。
そうしますと
されど人間を観ること もっと大切也
という文は、感情を含めた人間を観察することが、もっと大切だよと言っているのだと思います。
そう考えますと「人間」は感情を起点にして、治療の対象になるものを作り出しているとも言えます。
いらいらして気分が悪い、というような表立ったものではなくて、裡に秘められた、抑圧された感情が原因となります。ご本人さまにもわからないような、わからないうちに無意識的に沈没させたものが治療対象として浮かび上がる。
感情も含めた「人間」を観ることが大切だ、と野口先生はおっしゃっているのだと思います。
心します。
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