張りとは輪郭の力の探求

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目に見えないものと目に見えるもの
そのようなことを考えていますと、いろいろと不思議な現象があるものだと気が付きます。

最近では「張り」について

張りとは輪郭の力のことである

という一文を見つけました。

この一文から目が離せなくなりました。

「張り」という言葉はご存じかと思います。
張りのあるお肌、張りのある生活、張りのある人生などという言い方もします。
整体には筋肉に張りがあるという人が多くお越しになられます。

筋肉の張りというものと張りのあるお肌とはまるで別の存在です。医学や解剖を専門に研究しているわけではありませんので、別の存在だということはわかりますが、構造的な相違点を説明できるかというと自信はありません。

張りのある生活や張りのある人生と張りのある筋肉は比べようもありません。どう違うのかを説明しようもない。でも絶対に違う。同じ「張り」でも違います。

張りのある生活や張りのある人生という表現における「張り」。
この「張り」をどのように説明したらよいのでしょう?

AさんとBさんがいて、申し訳ないけどAさんの方がBさんより張りのある生活をしている。それは多くの人から見てもわかるとします。しかし具体的にAさんのどこがBさんと異なるから張りのある生活となっているのかは説明しようがありません。

仮にAさんがBさんよりも収入がいいから、地位があるから、家族がいるから、家があるから、物質的にも社会的にも恵まれているから張りのある生活をしているのでしょうか?
ある点ではそうと言えるかもしれませんが、絶対的な条件かと言われれば疑問が残ります。

しかし何となくわかる「張り」という言葉の持つ共通性も理解できそうに思います。

わかるんだけど説明できない。でも確実に存在している。
氣やエネルギーなど目に見えない存在、それと同じような感じを受けます。

 

先の一文をもう一度

張りとは輪郭の力のことである

何となく気になったこの一文を頼りに進めていきたいと思います。

 

張りとは輪郭の力のことです。
ということは「張り」とは目に見えないものではなく目に見えるものとして存在しています。

この場合の目に見える存在として現れているものは目に見えない内部の表れともいえます。なぜかというと「張り」というものと「腫れ」というものは違うからです。

「張り」に存在する皮膚下の組織における配列は細胞レベルにおいても整然としていて、活き活きとしています。
一方で「腫れ」における構造的な配列はいびつであり、誰もが外部から一見しただけで活き活きとしていないものと認識します。

この例は単純に視覚レベルでの見えないということを現わしていますが、実際に「張り」と「腫れ」は内部の表れであると言えるかと思います。

 

目に見えないものが目に見えるものとして現れている「張り」というもの。
そのように仮定すると「張り」があるように見られたい願望は水泡に帰すものとなります。

張りは意図ではなく客観性として、表に現われるからです。

「張り」があるように見られたい、という願望を持っていても、内側にあるものが表に現われなければ「張り」があるように見られません。

「張り」が表に現れるよう、内側を満たす必要があるのです。
この場合の内側とは在り方です。

「張り合い」がある、というような言い方もします。
この場合の「張り」には「生きがい」というものが加わっています。
「張り」とはやはり在り方です。

というわけで、もう一度先の一文を

張りとは輪郭の力のことである

輪郭の力だと言いました。
ということは、輪郭の力は自分の在り方が決めていくものなのだと思います。

 

張りという言葉によく似た言葉で緊張というものがあります。
緊張したことがないという人を私はひとりだけ知っていますけど、本当に信じられません。

張りと緊張。
並べてみても違うというのは一目瞭然です。
ピンと張っている感じは同じですが、張りと緊張とは違います。

みなさんは「張り」でしょうか、
それとも「緊張」でしょうか。

現代人の多くにふさわしいのは「緊張」のようです。

張りがあるという言葉には、緊張とは違う何か余裕めいたものを感じます。
余裕があって、余力があって。
それが張りがあるということ。

反対に緊張はピンと張りつめていて、いつも余裕がありません。
ピンと緊張した弦は余裕がなく、わずかにつま弾いただけで切れてしまう。

 

余裕や余力ということは大切なことです。
ピンと張ったものが、プチンと切れてしまわないように、余力あることを由としよう。
つねに余裕綽々で、深い息をしていることが大事なのです。

 

「お肌に張りがある」人も「張りがある人生」の人も物理的「張り」なのか精神的「張り」なのかの違いだけで同じことのようにも見えてきました。

「張り」を余裕や余力とすると「緊張」は張りつめた緊迫した様子が思い浮かびます。
余裕と緊迫。
余裕が足りないから緊張し緊迫して自分自身を追い詰めるのです。

自律神経の交感神経と副交感神経にも似ています。
余裕と緊迫の間には絶妙なバランスが存在します。

余裕ある緊張感を楽しんでいる人こそが張りのある人生を過ごしている人だと言えるのではないでしょうか。

 

私たちは目に見えない「張り」というものを見極める能力を有しています。
スーパーに並んだ野菜、果実、魚からも健全に秩序だったもので構成されている目に見えないものを意識し、感じています。

目に見えないものというと、何か特別なもののように思ってしまいがちですが、意外とそうではなく、目に見えないものを敏感に感じ取っているのが私たちのようです。

ということは、目に見えないものをもっと意識することで「張りのある人生」を送ることができるのではないでしょうか。

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