鳥取県琴浦町で整体「治す」から「治る」身体へ

どんな場所が好きですか?

2019/10/26
 
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どんな場所が好きですか?

 

日本庭園の美しさは際立っていて、そのときの心の持ちようによってその印象は変わるかもしれないが、庭園の中を歩いているとそれだけで心が静かになっていくような錯覚に陥る。

 

ほんの少しの時間でもその時間がとても長く長く感じられて、鳥が羽ばたく羽音が聴こえたり、池の中を跳ねる鯉の水音がいいリズムを刻む。

 

このような空間を自分の手の届くところに持つことができたらどんなにいいことだろう。

そんな落ち着いた日本庭園のような空間でお客さまをお待ちしていたいものだ。

 

最近読んでいる山本兼一氏の著書「利休にたずねよ」の中で、イエズス会東インド巡察師のヴァリニャーノはヨーロッパの優越性語る。それに対して日本が劣っていることを話すのだが、その中でヴァリニャーノはヨーロッパ人から観た茶の湯の持つ奇怪さについて述べる。

なぜ日本人は、あんな狭苦しい部屋に集まり、ただもそもそと不味い飲み物を飲むのかね。がらくた過ぎない土くれの焼き物を飽きもせず眺め、おたがいに白々しく褒め合うのかね。あんな馬鹿馬鹿しい習慣が、世界のどこを見まわしてもないことは、君たちもよく理解していることと思う

さらに

日本人の美意識は、あきらかに正解の基準からみて正反対にゆがんでいる。あの貧相な道具(茶器)に、いったいどんな価値をみとめて大金を投じるのか、理解できる人間は世界のどこにもいない

そして

そのことだけを考えても、日本がいかに文明から隔絶された辺境の地であるかがわかる。

としている。

そして関白秀吉の城館は首都の中に自然の森を再現し、池や木立が人工的に作られている。

これをみてヴァリニャーニは

自然が味わいたいのなら、山に行けばいいのだ

と。やはりヴァリニャーニには理解できなかったらしい。

 

わたしはそういった日本庭園や日本文化に対する理解や知識はほんとうに一般的なものであると思うし、どちらかというとむしろたいして知らない人の部類に入ると思う。

 

しかし、こういった計算されつくした空間に行くと普通に山道を歩いているよりも落ち着くし、心が静かになる。

 

粗野でほおりだしたままのものだけが自然であるとは言い切れない。
木を活かすために剪定もしないといけない。これは必要なものを活かすために不必要なものを省いていく行為だ。

 

われわれ人間におきかえてみてもどうだろう。

 

世の中にはたくさんの情報が存在し、どの情報が正しい情報化わからない。とりあえず著名な人やテレビやメディアで知っている人の話なら信じてみようか?と思ってみたりもする。

しかし、自分にとって必要な情報と不必要な情報は他の人とは異なるし、あなたにとってこっちがいいよって本当に意味で教えてくれる人がどれくらいいるだろう。

 

情報だけに限らず、必要なことなのか不必要なことなのかどれだけの人が正確に判断できるだろう。まちがったことや情報に惑わされたり、流されたりすることがないと言い切ることができるだろう。

 

最終的に選び取るのは自分自身かもしれないが、それをなにの根拠もなく信じ切れるほど強くもないし、失敗する時間もないと思っている。

 

そんなときにほんとうに自分自身のことを誠意をもって話してくれる人と話したい。

粗野な場所ではなく、空間を計算されつくした場所でゆったりと過ごしたいと思う。

そんなときに人は整体という状態に少し近づいているんだろうな。

 

本日もお読みいただき、ありがとうございます。

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