強い上司はもう求められない。10年で変わった上司像。
というような記事を見つけました。
【上司に期待すること】
1位 「相手の意見や考え方に耳を傾けること」(51.3%)[プラス5.3ポイント]
2位 「一人ひとりに対して丁寧に指導すること」(47.7%)[プラス13.7ポイント]
10年ひと昔とは言うもののずいぶんと変わりました。
上司のみなさん、10年前、10年間と言ったらまだまだ現役でバリバリ働いておられることでしょう。しかしこの世の中の変化といったら驚かれているのではないでしょうか。
わたしも10年前というと医療機関で勤務していました。勤続年数がそこそこ溜まってくると後輩や部下を持つ機会も増えます。
あの頃の後輩たちのことを思い返します。
これはたまたま私の後輩や部下がそういう傾向だったというわけで一般的な話とはかけ離れる部分もあるかもしれませんがあしからず。
10年前ですね。
10年前に後輩たちは決めて欲しがったものでした。引っ張って行って欲しがっていました。
経験がないから、失敗が怖いからそうなのかな?って思って「責任は取るからいいよ」って言っても決めて欲しがった後輩たち。
それが10年経ったらどうなのだろう?記事を見て大きく変わったなと思いました。
上司のみなさんはこの変化に適応していけているのだろうか?
適応できなくて上司の方が心身を病んでしまったり、最悪の場合は退職するしかなくなったり。
責任逃れと自主性、協調性のうわべの和。責任の所在を擦り付け合う。安全地帯から指をさす風潮。これは10年前から変わっていない。上司に求められること・・・と銘打った内容が変わってもその本質は変わらない。
みんな誰も何も決められないし決めたくないのだ。
誰かが何かを言ったりしたりすると責任を追及される。それが怖いから無難なことを選ぶ。
そういえば食事をするのにお店に入るにしてもレビューを調べる。誰かが「美味しいよ」って言ったお店のレビューが星2つだったらそのお店に入るだろうか?
わたしなら入ります。
話は脱線しましたが、万事そういうことなのかもしれないなと。
お店に入ることすら自分で決めていない。レビューが、AIが決めてくれる。
マッチングアプリ。やったことはないですがたいへん流行っているらしい。実際にお付き合いした人やそれがきっかけでご結婚なさった人もいる。それはそれですばらしいことですが、パートナーもAIが決める。失敗は少ないのかもしれない。
でもそれでいいんだろうか。
「今日は何しよう?」これがなくなっていっているんだな。というか生まれた瞬間から「今日何しようかな?」は失われていて、それを本能的に求めているのかもしれない。もともと学習としては「今日何しよう?」は学んでいないのかもしれない。
整体では「今日何しよう?」の源泉はエネルギー、体力であり、生きる本能であると考えています。
本当に元氣があるのなら「何しようか?」って思うもの。退屈こそが源泉である。
失敗するかも?責任はどうしよう?そういった恐れを受けるためにわたしたちは生きていない。
わたしたちの生きてきた意味を考えるべきだと思います。
豊かになるために生まれてきたのだろうか?
おそらく違っていて、わたしたちはしあわせになるために生まれてきたんだと思います。
AIがわたしたちひとりひとりのしあわせを定義付けてくれる時代は来るのだろうか?
それはもう少し先のような氣がします。
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