廃墟の画集を見ました。
なぜ廃墟なのだろうか?
廃墟って今流行っているらしいのですが、なぜなのだろう?
とくに若い人たちの感性として廃墟が響くようです。
廃墟は人工物と自然物が融合したものである。そのバランスを観ているのだろうと思う。
そして、それが今の若い人たちの世界観なのだろう。
アートの対義語はネイチャーであり、その融合なのだと思えば納得もしようものなのですが、今の若い人たち。自分自身は人間であると思っているのだろうけど、はたして人間って人工物なのだろうか?自然物なのだろうか?そういったはざまにいるのが今の若い人たちなのかもしれないって思いました。
わたしは昭和生まれの人間ですから、人間と言ったら自然物で、赤い血が流れていて、温かくて優しくて。そういったものが人間であって自然物なのだと思っています。人工物というとどこか冷たくて、硬くて、話が通じないといったイメージ。
しかし令和を生きる若い人たちは人工物が常に近くにいて、子どもの頃から自然物よりも人工物と接する時間が長くて、人工物をうまく使ってきた。デバイスのない生活なんて考えることができない。「あっ!携帯電話忘れた!」っていうのはいつも昭和な人間だ。令和を生きる若い人たちは弁当を忘れてもデバイスを忘れることなんてないのだろう。
完全なる大自然を経験したことはないけれど、大雨や地震災害など大自然の驚異というものはわかる。自然の中には溶け込めず、人工物と共にいる。自然物は不便で人工物は便利だ。はたして自分という人間は自然物に寄っているんだろうか?それとも人工物に寄っているんだろうか?
完全な田舎に住むことはできない。かといって都会にも置いて行かれそうだ。
わたしって何だろう?
それが廃墟なんじゃないだろうか。
そういったギリギリの表現が廃墟画という形で現れているのではないかと思うのです。
廃墟自体は朽ちている。それでも人工物の中に自然物が活き活きとしていて、その融合した人間美を若い人たちは観ているのだと思いたい。
廃墟というと何となくマイナスなイメージを持ちがちだったのですが、廃墟である今がいい、とも言えるのではないかと思います。
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