絶対なる一

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物質的なものではないものをどうして説明したらよいのやら。

天地より先立って生じていたものである。

絶体なる一である。

絶体なる一はどのように巡り、どのように歩もうとも殆くない、誤りがない。

周行して殆からず・・・なのだ。

 

わたしたちも一から生まれた殆くない、過ちのない存在。

しいていうと道 しいていうと大という。

天地が生まれる前からある一。天地が合体した一。

一に人が乗っかって大になる。

 

ここまで来ると目に見えないものありきで話がはじまる。

目に見えないものがある、という有無から論じる必要性があるというのが一般的なものなのかもしれないが、そうではない。

とはいえ今の時代、意外とスッと受け入れられる概念なのかもしれない。

 

絶対なる一がそこにある。

というか、それ以外にない。それしかないのだろう。

ということは、私もあなたも一の中に存在している。

私のもの、私自身などと思っていても実は一の中に存在する。

私の夢というのは夢ではなく幻なのだろう。私というもの自体がないということなのだから。

 

私は・・・ではじまるすべてのものは小説のごときフィクションである。

フィクションならフィクションらしくお花畑とかメルヘンチックであればよいのに、実際にはフィクションをノンフィクションのように思ってしまう。昨今のノンフィクションブーム。私たちはもはやフィクションかノンフィクションかわからない。何となくはざまを弄んでいるのだろう。そこには私とあなたが存在し、テレビの向こうにいるノンフィクションと称されたあなたを、少しばかり私に同期して楽しむ。同期するのもいいのかもしれないがそもそもフィクションの世界。殆からずの世界とは異なった世界があるように錯覚する。慣れ過ぎたから同期しやすいんだろうと。ともかく分断のわくは息苦しくて窮屈に感じるようです。

 

一の世界に還ろうか。周行して殆からず。絶体なる一。

 

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