希望と期待: 「人生が変わる」コピーの落とし穴

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インターネットを閲覧していますと、広告が同時に画面上に現われます

いろいろな広告があり、ほとんどの広告をスルーするのですが、たまたま氣にかかった広告の文句がありました

それは「人生が変わる○○」というもの

何だか少し古臭いような感じもしますが、「人生が変わる」というコピーに目や手を止める人もいらっしゃるということなのでしょう

「人生が変わる」というお話です

 

変わらないことが前提

この広告に目がとまったのは、このコピーって数年前は本当に目にしたものでした
いつの頃からか、こういった文言を目にすることはなくなりましたが、率直に言って目にしたときの感想は「あっ!なつかしい」でした(^^;

数年前から変わらないコピー
このコピーに導かれた人たちが実際に変わったことってあるのだろうか?と考えました

人間はホメオスタシスという機能が備わっていて、基本的に同じことを繰り返そう、同じ環境を保とうとします
好む好まざるという範疇を超えた、本能的な、機能として同じ環境を保ち、同じことを繰り返すのが人間の性能です

ということは、人間は人間である以上、変わらないというのが前提条件となります

 

多くの人が望み通り変われない

それにしても「人生を変える」というコピーはよく目にします
「人生を変える○○」などという書籍も検索したらたくさん見つかるのではないでしょうか

先ほどは変わらないのが前提条件と書きましたが、だからこそなのか、多くの人が変わりたいと望んでいます

そして変わりたいという望みが叶うことは多くはないようです

まるでやるやると言ってやらない、やるやる詐欺のようなものです
やりたいのに、やれないのかやらないのか、ご本人の事情ですからわかりませんが、結果としては結局はやらない

本気を出したらすごいけど、肝心の本気のありかがわからない
いつ本気出すねん!っていうあれです

 

希望と期待

「人生が変わる」というコピーが未だに存在しているということは、人生を変えたと思っている人が多いということです

今の自分の延長線上にある未来、今の現状からの脱出を望んでいる人たちが多くいらっしゃるということです

脱出と脱色はよく似ているけど、脱色したら髪がパサパサになるし、何だか栄養不足のような感じになります

学生の時に友人が消毒するときに使うオキシドールで髪を脱色していましたが、すごいゴワゴワしてたことを憶えています

人生も無理に脱色してゴワゴワにしてはいけない

でも変えたいと思っている人が山ほどいて、その人たちは悲しんでいる

変わりたいのに変われない、出したい本気が見つからない自分に対して悲しんでいるのではないだろうか

そこにキャッチーな言葉が忍び寄る

落とし穴の入り口にはこう書いてる
希望と期待

誰だって自分に期待したいし、自分の未来に希望を持ちたいものです

「人生が変わる」と書かれた文言には希望と期待が映し出されています

 

私自身の話になりますが、私は愛光流を知り、入門し、変わったと思います
それは結果として変わった思っています
もしかしたら、あの頃の私の延長線上に今の私がすでにいたのかもしれませんが、紛れもなく愛光流に出会ってから変わったのは事実でしょう

その歩みは時間がかかったと思います
師匠からたくさんのことを学び、咀嚼し、反芻し、幾多の時間を費やしてしまいました
しかし時間をかけて変わっていったのかというと、多分一瞬だったのでしょう

変えようとしなくても変わるときには一瞬で変わる

もちろん、希望と期待を持って、一瞬で人は変わるのだと思います

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