わからないとできないは違う
表現には技術が伴う
伝えたいことがあるから表現するのだろう?
表現することができるから伝えることが生まれるのだろうか?
ぼくはどちらかというと後者な方だと思う。前者の方がかっこいいけど、ぼくの場合はそうではない。
技術は教える側にも責任があって、習得にある程度の時間と労力はかかるかもしれないが間違った方向にいくのではなく訂正してあげることはもちろんだし、限りあるモチベーションややる気を維持させながら取得までの時間を有意義に過ごさせてやることが大事なことだ。
技術には方法論がある
整体にしても瞑想にしても文章にしても料理にしてもホームランを打つ方法にしても麻雀杯を積むにしても、いろいろなものには技術があって、だと思っていて、技術であるがゆえにその方法論もあると思う。
その方法論を知ることでそこに向かう努力や積み重ねは必要かもしれないが、かくじつに一歩ずつ歩んでいける。
やみくもな努力はたいへんなことだし、好きでもなければ容易に挫折する。そうやって生まれた苦手意識はそう簡単に払しょくできるものでもない。
たとえば文章もそうで、ただ漠然と読んでいても一向に頭に入らないし、次々と忘れていく。
そう考えると、ウチの小学生の娘は宿題と称して日記を毎日書かせる意味はどこにあるのだろう?
漢字の訂正や先生の感想はあるけど、毎日夜寝る前にその日の日記を書いて次の日に持って行くだけの価値はあるのだろうか?
タイトルって難しい
文章を書いたり読んだりする上でタイトルや見出しって大事だと思っていて、それはやっぱり書いている内容だったり伝えたいことの要約だと思うから。
わざわざバズるタイトルをつけることもないとは思うのだが、バズるタイトルもそれはそれで技術がいると思っている。
こうやって書いていると伝えることってほんとうに技術がいるよなぁ、って思うし、他の方の文章を観ているとほんとうにうまいなぁ、ってつくづく思う。
書き手の書きたい内容がタイトルだったり見出しだったりするわけで、最初からそういった主旨を辿っていけるという意味では読み手にとっても重要だと思う。
しかし、つらつらと文字を並べて行ってもけっきょくは自分が伝えたいことってなんだろ?って思うこともしばしば。
そして自分の中身のなさに愕然とすることもある。もちろん、書いている内に思考が整理されていき、まとまっていくこともあるのだけれど。
参観日に行ってきました
昨日はウチの娘の授業参観に行ってきました。平日昼間の参観日ということですが、多くの保護者の方が集まって来られていました。
知った顔もちらほらと見かけ、あいさつもそこそこに静かに教室の中の先生の声、子どもたちの様子に目や耳を傾けます。今日の授業参観の内容は新聞を読んで、その記事に見出しをつけましょう、というもの。
先生がいくつかの新聞記事を、実際の見出しやタイトルを伏字や空欄にしてコピーしてきておられ、それを配布します。
子どもたちはその記事を読んで、自分でタイトルを考えて、空欄に記入します。そして、それを配布された短冊のような紙に大きく書き出して、黒板に貼ります。それをみんなでああだこうだと批評するという授業。
先生は蛍光ペンで大事だなと思うところに線を引きながら読みましょう!というわけで子どもたちは一斉に配布された資料に向かいます。
子どもたちの様子を近くで観るのと、子どもたちをサポートしてあげてください、ということで後ろに立って並んで観ていた保護者、ろうかから覗き見ていた保護者がそれぞれ自分の子どもたちのそばに集まります。
娘も一生懸命がんばっていましたが、そこか?っていうところにどんどん線を引いていました。
となりの席の男の子も同じような感じでほとんど本文と関係ないところに線を引いていました。
しかも娘とは違うところに。ふたりとも線を引いた部分を繋げてみても全く文章になりません。
これ、だいじょうぶか~?
不安になります。先生はそれで保護者にサポートを求めたのでしょうか?
あと2分です。正直言ってもう少し時間が欲しい人は手を挙げてください。
先生が言います。ほとんどの子どもたちが手を挙げます。
わかりました。では2分追加します。それで締め切りますから。
と先生は言います。
全然わかってないのにできるわけないやんか、ぼくはそう思いました。
締めきりのアラームが鳴ろうとするときにはほとんど保護者が作ったのではないか?というような見出しが黒板に貼られていきました。
その見出しやタイトルについて、どうしてこのような見出しを作ったのか?と子どもたちは質問されます。答えることができる子どももいればそうでない子どももいる。保護者が答える場面もありました。
さて、
次はいくつか記事を配ります。好きな記事の見出しをつけてください。制限時間いっぱいまで何枚やってもかまいません。保護者の方もサポートしてあげてください。
と先生はいいました。
何回やっても同じように蛍光ペンの線が引かれるのですが、その意味もあまりわかっていない様子。
ただ雑然と時間が過ぎていきました。わからないなりにも一生懸命振る舞っていた子どもたちの姿。
わからないって途方に暮れる
上手や下手、時間がかかる、すぐにできるようになる。器用や不器用。そういったものもあるのかもしれないが、こんなんじゃ子どもたちは文章が嫌いになるんじゃないかな?マンガもいい、動画もいい。でも文章もいいではないか。
表現には技術が伴う。とぼしい技術では小さな声は届けることができないのだ。小さな声を大きな声にすることもできない。小さな声は表現することをあきらめ、飲み込み、しだいに失われていく。
そういえば本を読むこととか文章を書くことってきちんと学ぼうって思ったの、いつ頃だっけ?
理学療法士の実習のときにケース論文書くときだ。けっこう最近の出来事だなぁ。それまでは本読むの嫌いだったな、って思い出しました。わからない、って途方に暮れる。
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