【エッセイ】AIやロボットにできないこと

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先日師匠と話をしていました。

師匠の手の空いた時間に少し言葉を交わした程度なのですが、とても心に残っています。

 

要約しますと、
行間を読むということ。ものごとの行間を読むことや機微を感じることはいつまで経っても、最後の瞬間までAIやロボットにとって代わられるものではない。

最近流行りのMidjourney(ミッドジャーニー)ってご存じですか?

Just a moment...

AIが自分の想像した絵を自動的に作成してくれるサイトのことです。いくつかのキーワードを入力するだけでかなり高いレベルの絵を作成してくれます。けっこうクオリティ高いですよ。

このサイトに歌詞を入力してAIに自動作成させてみた人がおられたんですね。

結果は、まるで絵にならなかった、もしくはイメージとまったく違う絵になった、でした。

 

今回入力された歌詞は日本の有名なグループの曲でした。もちろんすべての歌詞がそうなのかというとそうではないのかもしれませんが歌詞って聴く人のイメージに訴えかけるものでもあります。

メロディに乗せるという制約もありますからいいたいことを別の単語に置き換えて伝えたりします。

上の文章のように書くだけで読者さまにはお分かりになると、伝わると思うのですが、AIではそうではないようです。

別の単語は別の単語として理解します。京都で「ぶぶづけ食べますか?」って言われたらほんとうは「そろそろ帰れ」っていう意味だとか。AIだと「ぶぶづけ」そのものが表現される。紅葉を観て物悲しいということもありません。

 

わたしたちでしたら「紅葉」って言われたら、前後の文脈、そのほかの空間や感情的な情報から「紅葉」の意味を理解します。

たとえば幕末の志士が日本をよい方向に変えようと奔走するものの、最終的には逆賊の汚名を着せられ討ち死にします。その最後の戦いの間際に「京都の紅葉」を故郷の家族に届けてほしいと生き残る仲間に託します。その「紅葉」を生き延びた仲間はたいせつに保管し、無事に故郷の家族のもとに届けます。亡くなったことを知り「紅葉」を受け取った家族はそれで亡くなった志士のすべてを理解した。

というような日本人の感性。

何もない所に存在するもの。目に見えない何かの情報が間違いなく存在し、その情報は伝わったのです。

 

こういったものはこれから失われていくものなのでしょうし、反対に貴重なものにもなります。

わたしたち人間はAIやロボットと敵対視することもないでしょうし「わたしたちは人間なんだ」と声を荒げる必要もありません。ただ、人間とAIやロボットの違いを定義するとしたら行間というものはひとつのキーワードになるのではないかと思います。

失ってから気がつくものにするのではなく、今からでも育てて行ければと思っています。

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