易というものがございます。
占いをする人が縦長の帽子をかぶって、竹ひごのようなものの前で座っている。ドリフターズのコントに出てきそうな絵です。
こちらの易は筮竹と呼ばれるものです。
易にも方法がいくつかございまして、私は金銭卦というコインを使って行う易をしています。
こちらの道具を使います。
今回は易って便利ですよというお話です。
ルールを説明できる
易を行う際に卦を作成します。
五行相剋相生の理論を基に卦を読み解いていきます。
五行相剋相生理論がベースになっていますので、なぜポジティブな結果が出ているのか、もしくはネガティブな結果が出ているのかを説明することが可能です。
占い番組でも出演者のお悩みを占い師がサッと答えていて、それについて「当たっているか」「当たっていないか」が論点になりがちですが、何よりもどうしてそのような判断となったのか、説明できることが大事だと思います。学問的背景がなければ、占い師側の単なる思い付きでしかないからです。
後日観返しても、同じような結果になっていることが重要です。
占い師の当日の腹具合で結果が二転三転しては困りますし、ルールに則った読み解き、解釈でないとなりません。
まるで太陽が昇ったら朝になり、太陽が沈んだら夜になる。
いくら神秘的に思えても、それがルールです。
易はこのような森羅万象のルールに則って成立しています。
太陽が昇っているのに「夜ですよ」というのはおかしい話ですね。
白夜なら白夜を説明できないと証明にはなりません。
善悪いらない
それゆえに思うことがあります。
ポジティブな結果を示してあげたいと思うこともあります。
お悩みが深ければ深いほど、できるだけポジティブなことを言いたい。ポジティブな結果の易が出てほしいと思うことはあります。
しかし「ダメです」と出ていれば、その内容が離婚であろうが、戦争であろうが、行方不明者であろうがダメなものはダメなのです。
それもひとつの結果として受け入れなければなりません。
Aという結果が望ましいと善悪をつけているのは私たち人間の方で、易の神様は単に結果だけを教えてくれるのだと思います。
人間の考える善悪という問題。
私のポジティブなことを言ってあげたいという欲求も易の前では無力であり、無駄なものなのです。
客観性がある
そう考えますと感情の入り込む余地がない易は、どこまで行っても人間の作為からかけ離れた場所にいます。
「この人はいい人だ」と思っていた頃の易と「この人は本当は自分勝手な人だった」と思い始めた頃の易に変わりはありません。
単純にyes、noで答え求めた場合(答えの出し方、易への問い方はさまざまですが)yesがnoに変わることはありません。
yesやnoから発展した「どうしたら」という問いになれば、その時期や方法、置かれている状況によって結果は変化していきます。
良かろうが悪かろうが淡々と出ている結果を観ていますと客観性がある。主観の働く余地はありません。
「今日の私の運はよいですか」という問いに、どなたも「yes」と回答がほしいものです。
なんとかyesにならないかな?とさえ思います(笑)
自分の易も作為的に成立しない。
客観的であるという合理性と冷酷さを味わいます。
再現性がある
易には再現性があります。再現性といっても振り直す場合には注意が必要です。一からやり直し野場合もあれば、やり直しているのに易の神様はその解決方法を教えてくれていることがあるからです。
この辺りは専門的に学んでいる人でないと多少難しいかもしれません。
ただしネガティブならネガティブから、ポジティブならポジティブから始まっていることには変わりありませんので再現性はあると言えます。
私たちは地球上に存在し、宇宙からの影響を少なからず受けています。その影響からの変化は生じますが、易を振った瞬間に切り取られた状態は変わりありません。もちろん普遍的な法則に基づいていますので、その瞬間の解釈は変わりません。
しかし、時間の経過とともに変化していく、経過していくのも事実であり、その瞬間の易は経過変化し、次に振った瞬間には違う答えを導き出すこともあります。
羅針盤になる
今の私を切り取り、その瞬間をキャッチする。易が得意とするところですが、瞬間だけでなく大きな流れもつかむことが出来ます。2年先3年先の未来の情報を読み解くことができます。
病占などは有名です。大病が治癒するだろうか?という易です。
大病ですから今日明日にどうこうなることは難しいです。だったら瞬間を切り取る易では、いつも治癒しないという結果が出るかというとそうではありません。何年もかけて治癒することを易は教えてくれます。今現在病で床に臥せっていても易は回復すると教えてくれます。
時間経過による変化。
易を振った当時は「病は治癒しない」という結果が出たとします。
しかしその人が熱心に手当てを継続していきました。
しばらくして、もう一度易を振った時には「病は去る」という結果が出ました。
このように易の教えてくれる情報は変化します。正しい方向に進んでいるのか、そうではない方向に進んでいるのかを教えてくれます。
羅針盤というものがあります。これは歴史上の大発明と言われています。
羅針盤がなかった時代。海に出ると見渡す限りの水平線。どちらに向かったら目的地に着くかわからなかったそうです。
それが羅針盤が発明されたおかげで、船は迷うことなく航路をとり、航海ができるようになりました。人類が大きな発展を遂げるのは、羅針盤の発明以降のことです。
易は私たちの航路を示す羅針盤のようなものだと思います。
ネタバレに似ている
羅針盤といいましたが、最近では商品やお店のレビューなども近いものかもしれません。
ある商品を購入しようと考えたら、商品レビューを確認します。
レビューの星が2つだったら、購入を思いとどまらせるかもしれません。
レビュー内容も読んでみます。レビュー内容をよく読んで購入するかどうか決めます。
多くの皆さまも、そのような手順でお買い物をなさっておられるのではないでしょうか。近所のスーパーでお醤油を買う時はそういうことはしませんが、特にインターネットで商品を購入しようと思ったら、レビューを調べ、購入への判断材料にします。
お店などはいかがでしょう。
友人と食事に出かけようとします。たまたまその日は普段使っているお店が定休日でした。あまりいいお店を知らない私はインターネットで検索します。もちろんレビューや口コミ、メニューなども調べます。お値段も調べるかもしれません。「ランチがあるよ」とか「コースがあるよ」とか。
始めていくお店なのに、ここのお店は「○○がおすすめ」とか「ランチで来ると○○のセットがある」とか、まるで常連さんのようです。
商品を購入する際やお店を利用する際に、このように下調べをします。
ある意味でネタバレしているようなものですが、易にも同じようなことが言えます。
子どもの頃の思い出 ドラクエ3
子どもの頃、私の子どもの頃はファミコン世代なのです。ドラクエとか流行っていました。当時はドラクエ3でした。友だちたちと競い合うようにファミコンをしていました。
田中クンという友だちがいました。田中クンにはお兄ちゃんがいて、家が自営のお客さま相手のお商売をなさっていました。田中クンはとにかく攻略が早い。お店が終わるまでの間、お兄ちゃんと宿題したりファミコンしたりしていたのでしょうね。
レベルアップも秘密のアイテムもとにかく早い。
私がひとりでコツコツとレベルアップしたり、秘密のアイテムが眠る洞窟に入るのを躊躇している隙にどんどん進んでいきました。
次の日、学校で田中クンから進捗状況を聞きながら情報を得た私は、田中クンの後を追うように自分のゲームを進めます。「洞窟の地下2階の東の壁に隠し扉があるよ」という田中クンからの情報を頼りに、モンスターを回避しながら東の壁を目指していました。そして隠し扉を見つけ、秘密の部屋でアイテムを手に入れました。
ネタバレネタバレといいますが、ネタバレしていても楽しむことはできます。
ネタバレしていなかったら、きっと私はあのアイテムを入手できなかったろう。そしてモンスターのボスにやっつけられてしまっていただろう。
田中クン、ありがとう。
オーダーして取り寄せる
易という文字は太陽と月を現わしています。太陽と月は私たちに多大な影響を与えています。太陽と月の支配から逃れられるものは地球上にいないでしょう。そのような絶対的な存在、そこからの情報を活用するのが易です。
易と変換しようとすると駅となりました。駅とは電車が停車する場所です。その駅それぞれに町が存在し、人々の生活があります。駅と見ると私は周辺に住み、駅を利用する人たちを思い浮かべます。
駅といいますと四柱推命では駅馬という星があります。これは移動を現わします。移動という意味において変化と解釈することもあります。
易は宇宙を舞台にした太陽と月が地球に与える影響を頼りに私たちの求める情報を教えてくれます。オーダーしてお取り寄せするようなものです。オーダー先は太陽と月、そして地球です。易の神様を介して有益な情報を与えてくれます。
易の神様に何をオーダーしようかと考えています。
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