第13回 整体人の昼下がり

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今回の整体人の昼下がり、高所での選定作業を行いました。

なぜ着物と袴なのだ?と私自身も思いました(;^_^A

 

 

人は皆 対話の要求を持っている

いつも訴え 又主張するのも集団動物の本能の現われと見る可きである

ただ自分を訴え 主張するだけではなく 他の訴えも聞き 主張も知ろうとする

そのため 己れを知るもののために生命を賭するも厭わないとか 酒は知己に逢って飲むべしとか お互いに知りあうことによって結ばれていることは少なくない

裡に対話の要求があると見做す所以である

少なくとも対話によって人間の世界は拓かれ保たれると言ってよい

 

対話には相手が要る

独り言ではない

しかし人によっては話が一方通行で往復していないことが多い

往復しなければ対話ではない

小児に漢字まじりの叱言を言っているようなもので 命令とか 押しつけとか 独り言となるようでは対話とは言えないのである

それ故 言いさえすれば良いものではない

相手の話を聞き 自分の話も相手に判るように言わなければならぬ

相互に納得のつく状態で話が往復するのでなければ対話ではない

 

もの言えぬ苦しさ 訴えられぬ訴えをもつことの切なさ 空谷に叫んでいるような自分の言葉が返って来ない空しさ 恋を打ち明けられないために病気になった人もいる 秘密をもったためにいつも顔色が悪くなっていた人もいた

人間は衛生的にも対話ということが必要なのであり 訴える人があればそれだけでも氣が楽になり 血行も良くなる

孤高を誇っていても楽ではない

人間はそういう構造をもっているのである

そのため 健康に生きることを目標にして心を研究している吾々でも 対話ということに対する関心が必要なのである

 

対話ということは人間の間に行なわれることで 対話の出来ない人が猫をくどいていることもあるが これは自問自答 独り言の部類であるが それでも言葉にして心を捨てておれば 黙っているより衛生的なのである

しかし人間の喜びは腹蔵なく語り合える心の通う人のあることである

 

対話の対象は人間であるが その意識にいくら言葉を重ねても その言葉と同じものが返ってくるだけである

言葉は音声であるから空気の波で その波だけが返ってくるようでは対話とは言えない 心をのせて言葉が通う 心を伴って言葉が返ってくるのでなければ対話しているとは言えない

空気の振動より心である

心が通らぬば言葉は空しさを増すだけである

それ故相手の心に通るよう心を集め 心を通わせることが必要であり その心のもとになる潜在意識 癒氣が対話の中心となるものであることを悟るであろう

 

氣の通ることが対話の中心であり 通行している人にいきなり話しかけても話は通らない しかし 「キャー」と言った声で人は動く

言葉にはならぬ音声でもその心が伝わるからである

百言千句をつくしても 心が伝わらねば対話にならない

 

人間の心は体の運動に現われる

脳細胞の一つ一つの動きを究むれば判ることがあるかもしれないが 大脳皮質だけでも百四十億も細胞があり 刻々変化しているのであるから その動きを究めるとなると まだまだ先のことで やはり生きているうちに判らないのでは困る

しかし人間の行動には心がすべてに現われるから 体運動とその習性を観れば 心の動きを知ることはそう難しいことではない

その意味でここでは体癖を研究し 人間の運動とその習性の追求をしているのであるが 結論を先に言えば 体癖は人間の心身運動の基本と言えるのである

 

~野口晴哉 対話~より

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